呻吟語 / 外篇・品藻・伊川は終に是れ拘泥
明道不落塵埃,多了看釋、老;伊川終是拘泥,少了看莊、列。
新字:明道不落塵埃,多了看釈、老;伊川終是拘泥,少了看荘、列。
書き下し
明道は塵埃に落ちず、釋・老を看ること多ければなり。伊川は終に是れ拘泥す、莊・列を看ること少なければなり。
現代語訳
程明道が塵埃に落ちなかったのは、仏と老を多く読んだからです。程伊川が結局は固く拘ったのは、荘と列を少ししか読まなかったからです。
解説
兄弟の差を、他派の読書量で説明します。明道は仏老を読んだから抜けており、伊川は荘列を読まなかったから固い。儒者の性質を他派の読書で説明するのは大胆な見方です。前に出てきた、明道が仏老から使いどころを得ていたという段と同じ主張で、こちらは伊川との比較で示されています。儒の内側だけで学ぶと固くなる、という警告にもなっています。

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明道伊川他派読書柔軟
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