呻吟語 / 外篇・品藻・便ち天を希はんことを要す
論造道之等級,士不能越賢而聖,越聖而天。論為學之志向,不分士、聖、賢,便要希天。
新字:論造道之等級,士不能越賢而聖,越聖而天。論為学之志向,不分士、聖、賢,便要希天。
書き下し
道に造るの等級を論ずれば、士は賢を越えて聖、聖を越えて天なる能はず。學を為すの志向を論ずれば、士・聖・賢を分かたず、便ち天を希はんことを要す。
現代語訳
道に到る段階を論ずれば、士が賢を飛び越えて聖になり、聖を飛び越えて天になることはできません。学ぶ志の向きを論ずれば、士も聖も賢も分けず、すぐに天を希うべきです。
解説
到達の順序と、志の向きを分けます。到達は段階を飛ばせないが、志は最初から最上を向いてよい。同じ道について、進み方と目標を別に扱う構図です。前に出てきた、下手な射手も名人と同じ的を狙うという段と同じ主張で、こちらは段階論との両立が明示されています。進み方と目標を、別に扱う構図になっているのが要点です。
この章句が説くこと
段階志希天順序両立
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