呻吟語 / 外篇・品藻・無私無欲は三教の分かるる所
無欲底有,無私底難。二氏能無情慾,而不能無私。無私無欲,正三教之所分也。此中最要留心理會,非狃於聞見、章句之所能悟也。
新字:無欲底有,無私底難。二氏能無情慾,而不能無私。無私無欲,正三教之所分也。此中最要留心理会,非狃於聞見、章句之所能悟也。
書き下し
欲無き底は有り、私無き底は難し。二氏は能く情慾を無くすも、而れども私を無くす能はず。無私無欲は、正に三教の分かるる所なり。此の中最も心を留めて理會するを要す。聞見章句の悟る能ふ所に狃るるに非ざるなり。
現代語訳
欲が無い者はいますが、私が無い者は稀です。仏と道の二家は情や欲を無くせますが、私を無くすことはできません。私が無いことと欲が無いことこそ、三つの教えの分かれ目です。ここは最も心を留めて腹に落とすべきところです。聞きかじりや章句の暗記で悟れるものではありません。
解説
無欲と無私を分け、後者のほうが難しいとします。仏と道は欲を無くせても私を無くせない、と。前に出てきた、聖は無欲ではなく無私だという段と同じ主張です。そして最後に、聞きかじりでは悟れないと念を押します。三教の分かれ目を一点に絞り、そこを深く考えよと促す一段です。三教の分かれ目を一点に絞り、深く考えよと促しています。
この章句が説くこと
無欲無私三教分岐深慮
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