呻吟語 / 外篇・品藻・各人各人の路を走る
此是官路古路,乞人盜跖都有分,都許由,人自不由耳。或曰:「須是跟著數聖人走。」曰:「各人走各人路。數聖人者,走底是誰底路?肯實在走,腳蹤兒自是暗合。」
新字:此是官路古路,乞人盗跖都有分,都許由,人自不由耳。或曰:「須是跟著数聖人走。」曰:「各人走各人路。数聖人者,走底是誰底路?肯実在走,腳蹤児自是暗合。」
書き下し
此れは是れ官路古路なり。乞人盜跖も都て分有り、都て由るを許す。人自ら由らざるのみ。或るひと曰く、「須らく是れ數聖人に跟きて走るべし」と。曰く、「各人各人の路を走る。數聖人なる者は、走る底は是れ誰が底の路ぞ。肯へて實在に走らば、腳蹤兒自ら是れ暗合せん」と。
現代語訳
これは公けの道であり古い道です。物乞いも盗跖も、みな分があり、みな通ることを許されています。人が自分から通らないだけです。ある人が言いました。聖人たちの後について走るべきでしょうか。答えて言う。それぞれが自分の道を走ります。聖人たちが走ったのは、誰の道だったのでしょうか。本気で走るなら、足跡は自然と重なります。
解説
大道が誰にでも開かれていることを示したうえで、後について走るのかと問われます。答えは、各人が自分の道を走れ。そして聖人も誰かの後を追ったのではないと返します。それでも本気で走れば足跡は重なる。模倣ではなく一致という構図で、前に出てきた、人の足跡を踏むなという段と同じ立場です。模倣ではなく一致という構図になっているのが要点です。
この章句が説くこと
大道開放模倣一致自得
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