呻吟語 / 内篇・談道・道は自ら私せず、聖人も道を私せず
道者,天下古今共公之理,人人都有分底。道不自私,聖人不私道,而儒者每私之曰「聖人之道」,言必循經,事必稽古,曰「衛道」。嗟夫!此千古之大防也,誰敢決之?然道無津涯,非聖人之言所能限;事有時勢,非聖人之制所能盡。後世苟有明者出,發聖人所未發而默契聖人欲言之心,為聖人所未為而吻合聖人必為之事,此固聖人之深幸而拘儒之所大駭也。嗚呼!此可與通者道,漢唐以來鮮若人矣。
新字:道者,天下古今共公之理,人人都有分底。道不自私,聖人不私道,而儒者毎私之曰「聖人之道」,言必循経,事必稽古,曰「衛道」。嗟夫!此千古之大防也,誰敢決之?然道無津涯,非聖人之言所能限;事有時勢,非聖人之制所能尽。後世苟有明者出,発聖人所未発而黙契聖人欲言之心,為聖人所未為而吻合聖人必為之事,此固聖人之深幸而拘儒之所大駭也。嗚呼!此可与通者道,漢唐以来鮮若人矣。
書き下し
道とは、天下古今共公の理にして、人人都て分有り底なり。道は自ら私せず、聖人も道を私せず。而るに儒者は每〻之を私して「聖人の道」と曰ひ、言は必ず經に循ひ、事は必ず古に稽へ、「道を衛る」と曰ふ。嗟夫、此れ千古の大防なり、誰か敢へて之を決せん。然れども道に津涯無し、聖人の言の能く限る所に非ず。事に時勢有り、聖人の制の能く盡くす所に非ず。後世苟くも明なる者出で、聖人の未だ發せざる所を發して默かに聖人の言はんと欲するの心に契ひ、聖人の未だ為さざる所を為して聖人の必ず為すの事に吻合せば、此れ固より聖人の深く幸ひとする所にして、拘儒の大いに駭く所なり。嗚呼、此れ通ずる者と道ふ可し、漢唐以來若き人鮮し。
現代語訳
道とは、天下古今に共通の公けの理であって、誰もが分け前を持つものです。道は自ら私しませんし、聖人も道を私しません。ところが儒者はしばしばこれを私して聖人の道と呼び、言葉は必ず経典に従い、事は必ず古に照らして、道を守る、と言います。ああ、これは千年の大きな堤で、誰があえてこれを切るでしょうか。しかし道には岸がなく、聖人の言葉で限れるものではありません。事には時勢があり、聖人の定めで尽くせるものではありません。後の世にもし明らかな者が出て、聖人がまだ発しなかったことを発して、ひそかに聖人が言おうとした心に適い、聖人がまだ行わなかったことを行って、聖人が必ず行ったはずの事に合致すれば、これは聖人が深く幸いとするところであり、こだわり深い儒者が大いに驚くところです。ああ、これは通じた者とだけ語れます。漢唐以来こういう人はまれです。
解説
この章句が説くこと
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