呻吟語 / 外篇・品藻・甘んじて艱難を守る
盈山寶玉,滿海珠璣,任人恣意採取,並無禁厲榷奪,而束手畏足,甘守艱難,愚亦爾此乎?
新字:盈山宝玉,満海珠璣,任人恣意採取,並無禁厲榷奪,而束手畏足,甘守艱難,愚亦爾此乎?
書き下し
盈山の寶玉、滿海の珠璣は、人の恣意に採取するに任せて、並びに禁厲榷奪無し。而るに手を束ね足を畏れ、甘んじて艱難を守る。愚も亦た爾に此せんや。
現代語訳
山いっぱいの宝玉、海いっぱいの真珠は、人が思うままに採るのに任されていて、禁令も取り立ても取り上げもありません。それなのに手をこまぬき足をすくませ、甘んじて苦しいままでいます。愚かさもここまででしょうか。
解説
誰でも自由に取れるものがあるのに、手を出さない愚かさを突きます。山と海の宝は、道や学問の比喩でしょう。禁令も課税も無く、取り放題なのに取らない。前に出てきた、道理だけは貪ってよいという段と同じ主張が、宝の山という像で示された一段になっています。道理だけは貪ってよいという主張が、宝の山の像で示されます。
この章句が説くこと
宝自由道怠り比喩
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