呻吟語 / 外篇・品藻・道理の見識と氣質の見識
凡見識,出於道理者第一,出於氣質者第二,出於世俗者第三,出於自私者為下。道理見識,可建天地,可質鬼神,可推四海,可達萬世,正大公平,光明易簡,此堯、舜、禹、湯文、武、周、孔相與授受者是也。氣質見識,仁者謂之仁,智者謂之智。剛氣多者為賢智,為高明;柔氣多者為沉潛,為謙忍。夷、惠、伊尹、老、莊、申、韓各發明其質之所近是已。
新字:凡見識,出於道理者第一,出於気質者第二,出於世俗者第三,出於自私者為下。道理見識,可建天地,可質鬼神,可推四海,可達万世,正大公平,光明易簡,此堯、舜、禹、湯文、武、周、孔相与授受者是也。気質見識,仁者謂之仁,智者謂之智。剛気多者為賢智,為高明;柔気多者為沈潜,為謙忍。夷、恵、伊尹、老、荘、申、韓各発明其質之所近是已。
書き下し
凡そ見識は、道理より出づる者は第一、氣質より出づる者は第二、世俗より出づる者は第三、自私より出づる者は下と為す。道理の見識は、天地に建つ可く、鬼神に質す可く、四海に推す可く、萬世に達す可し。正大公平、光明易簡なり。此れ堯・舜・禹・湯・文・武・周・孔の相與に授受する者是れなり。氣質の見識は、仁者は之を仁と謂ひ、智者は之を智と謂ふ。剛氣多き者は賢智と為り高明と為り、柔氣多き者は沉潛と為り謙忍と為る。夷・惠・伊尹・老・莊・申・韓各おの其の質の近き所を發明するのみ。
現代語訳
およそ見識は、道理から出るものが第一、気質から出るものが第二、世俗から出るものが第三、自分の私から出るものが下です。道理の見識は、天地に打ち立てられ、鬼神に問え、四海に推し広げられ、万世に通じます。正しく大きく公平で、明るく易しく簡素です。堯舜禹湯文武周公孔子が互いに伝え合ったものがこれです。気質の見識は、仁者はこれを仁と言い、智者はこれを智と言います。剛い気の多い者は賢智となり高明となり、柔らかい気の多い者は沈潜となり謙忍となります。伯夷や柳下恵や伊尹や老荘や申不害や韓非は、それぞれ自分の質に近いところを言い表したにすぎません。
解説
この章句が説くこと
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