呻吟語 / 外篇・聖賢・畢竟各人に各人の氣質有り
堯、舜、禹、文、周、孔,振古聖人無一毫偏倚,然五行所鍾,各有所厚,畢竟各人有各人氣質。堯敦大之氣多,舜精明之氣多,禹收斂之氣多,文王柔嘉之氣多,周公文為之氣多,孔子莊嚴之氣多,熟讀經史自見。若說天縱聖人,如太和元氣流行略不沾著一些,四時之氣純是德性,用事不落一毫氣質,則六聖人須索一個氣象無毫髮不同方是。
新字:堯、舜、禹、文、周、孔,振古聖人無一毫偏倚,然五行所鍾,各有所厚,畢竟各人有各人気質。堯敦大之気多,舜精明之気多,禹収斂之気多,文王柔嘉之気多,周公文為之気多,孔子荘厳之気多,熟読経史自見。若説天縦聖人,如太和元気流行略不沾著一些,四時之気純是徳性,用事不落一毫気質,則六聖人須索一個気象無毫髪不同方是。
書き下し
堯・舜・禹・文・周・孔は、振古の聖人にして一毫の偏倚無し。然れども五行の鍾まる所、各おの厚き所有り。畢竟各人に各人の氣質有り。堯は敦大の氣多く、舜は精明の氣多く、禹は收斂の氣多く、文王は柔嘉の氣多く、周公は文為の氣多く、孔子は莊嚴の氣多し。經史を熟讀すれば自ら見る。若し天縱の聖人は、太和の元氣流行して略ぼ一些も沾著せずと說かば、則ち六聖人は須らく一個の氣象毫髮も同じからざる無くして方に是なるべし。
現代語訳
堯舜禹文王周公孔子は、古来の聖人で毛ほどの偏りもありません。それでも五行の集まり方には、それぞれ厚いところがあります。結局は各人に各人の気質があります。堯は大らかな気が多く、舜は精しく明るい気が多く、禹は収める気が多く、文王は柔らかく善い気が多く、周公は文をなす気が多く、孔子は厳かな気が多い。経書や史書を熟読すれば自ずと見えます。もし天が縦にした聖人は大いなる和の気が流れるだけで少しも染まらないと言うなら、六人の聖人は毛ほども違わない同じ姿でなければならないはずです。
解説
聖人に偏りは無いとしたうえで、それでも気質の厚薄はあると言います。六人それぞれの持ち味を一語で示し、経史を読めば見えると添えます。そして反論を封じる論法が鋭く、もし気質に染まらないなら六人が同じ姿になるはずだ、と。違いが残っていることが、気質がある証拠になっています。違いが残っていることが、気質がある証拠になります。
この章句が説くこと
聖人気質持ち味六人証拠
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