呻吟語 / 外篇・品藻・人を觀るは只だ其の心を諒す
觀人只諒其心,心苟無他跡,皆可原。如下官之供應未備,禮節偶疏,此豈有意簡傲乎?簡傲上官以取罪,甚愚者不為也,何怒之有?供應豐溢,禮節卑屈,此豈敬戎乎?將以說我為進取之地也,何感之有?
新字:観人只諒其心,心苟無他跡,皆可原。如下官之供応未備,礼節偶疏,此豈有意簡傲乎?簡傲上官以取罪,甚愚者不為也,何怒之有?供応豊溢,礼節卑屈,此豈敬戎乎?将以説我為進取之地也,何感之有?
書き下し
人を觀るは只だ其の心を諒す。心苟しくも他跡無くんば、皆な原す可し。下官の供應未だ備はらず、禮節偶たま疏なるが如きは、此れ豈に意有りて簡傲ならんや。上官に簡傲にして以て罪を取るは、甚だ愚なる者も為さず。何の怒か之れ有らん。供應豐溢し、禮節卑屈なるは、此れ豈に敬戎ならんや。將に我を說ばしめて進取の地と為さんとするなり。何の感か之れ有らん。
現代語訳
人を観るのは、ただその心を汲むことです。心にやましい跡が無ければ、みな許せます。下役の接待が行き届かず、礼節がたまたま粗いのは、わざと侮っているのでしょうか。上役に侮って罪を招くのは、よほど愚かな者でもしません。何を怒ることがあるでしょうか。接待が豊かにあふれ、礼節が卑屈なのは、本当に敬っているのでしょうか。自分を喜ばせて出世の足がかりにしようとしているのです。何を感じ入ることがあるでしょうか。
解説
接待の粗さと厚さを、どちらも額面通りに受け取るなと言います。粗いのは侮りではなく、厚いのは敬いではない。相手の立場から動機を推せば答えは明らかです。上に立つ者が最も誤りやすい二場面を並べており、怒る必要も感じ入る必要も無いという結論になります。上に立つ者が最も誤りやすい二場面を、並べた一段です。怒る必要も感じ入る必要も無い、という結論になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
接待動機侮り追従判定
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