呻吟語 / 外篇・品藻・居官の念頭に三用有り
居官念頭有三用:念念用之君民,則為吉士。念念用之套數,則為俗吏。念念用之身家,則為賊臣。
新字:居官念頭有三用:念念用之君民,則為吉士。念念用之套数,則為俗吏。念念用之身家,則為賊臣。
書き下し
官に居るの念頭に三用有り。念念之を君民に用ふれば、則ち吉士と為る。念念之を套數に用ふれば、則ち俗吏と為る。念念之を身家に用ふれば、則ち賊臣と為る。
現代語訳
官にある時の思いには三つの使い道があります。思うたびに君と民に使えば、善き士となります。思うたびに型どおりの手続きに使えば、俗な役人となります。思うたびに自分の身と家に使えば、賊臣となります。
解説
役人の心の向きを、三つに分けます。君民、型どおり、身家。そして呼び名が与えられます。吉士、俗吏、賊臣。とくに中間の型どおりが俗吏とされるのが要点で、悪事を働かなくても手続きに心を使えば俗吏になる。日々どこに思いを使っているかで、分類が決まる一段です。悪事を働かなくても、手続きに心を使えば俗吏になるのです。
この章句が説くこと
居官君民形式身家分類
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