呻吟語 / 外篇・品藻・小知を以て人を觀る
操進退用舍之權者,要知大體。若專以小知觀人,則卓犖奇偉之士都在所遺。何者?敦大節者不為細謹,有遠略者或無小才,肩巨任者或無捷識;而聰明材辯、敏給圓通之士,節文習熟、聞見廣洽之人,類不能裨緩急之用。嗟夫!難言之矣。
新字:操進退用舎之権者,要知大体。若専以小知観人,則卓犖奇偉之士都在所遺。何者?敦大節者不為細謹,有遠略者或無小才,肩巨任者或無捷識;而聰明材弁、敏給円通之士,節文習熟、聞見広洽之人,類不能裨緩急之用。嗟夫!難言之矣。
書き下し
進退用舍の權を操る者は、大體を知るを要す。若し專ら小知を以て人を觀れば、則ち卓犖奇偉の士は都て遺する所に在り。何となれば、大節に敦き者は細謹を為さず、遠略有る者は或いは小才無く、巨任を肩にする者は或いは捷識無し。而して聰明材辯、敏給圓通の士、節文習熟、聞見廣洽の人は、類ね緩急の用に裨する能はず。嗟夫、言ひ難きかな。
現代語訳
人を進め退け用い捨てる権を握る者は、大きな筋を知る必要があります。もっぱら小さな知恵で人を観れば、抜きん出て奇偉な士はみな取り落とされます。なぜなら、大きな節目に厚い者は細かな慎みをせず、遠い謀を持つ者には小さな才が無く、巨大な任を肩にする者には素早い機転が無いからです。そして聡明で弁が立ち機敏で円やかに通ずる士、作法に習熟し見聞の広い人は、どれも急場の役に立ちません。ああ、言い表しがたいことです。
解説
人事の失敗を、測る物差しの小ささに帰します。細かい慎み、小さな才、素早い機転。どれも目に見えやすく測りやすいものですが、大きな人物には無い。そして測りやすい資質の持ち主は急場に役立たないと続けます。選考基準の細かさが、大物を落とす仕組みを示した一段になっています。選考基準の細かさが、大物を落とす仕組みを示した一段です。
この章句が説くこと
人事基準細事大節取り落とし
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