呻吟語 / 外篇・品藻・利字得ざれば、便ち義字を做し成らず
聖賢把持得義字最乾淨,無分毫利字干擾。眾人才有義舉,便不免有個利字來擾亂。利字不得,便做義字不成。
新字:聖賢把持得義字最乾浄,無分毫利字干擾。衆人才有義舉,便不免有個利字来擾乱。利字不得,便做義字不成。
書き下し
聖賢は義の字を把持し得ること最も乾淨にして、分毫の利の字の干擾無し。眾人は才かに義舉有れば、便ち個の利の字の來たりて擾亂するを免れず。利字得ざれば、便ち義字を做し成らず。
現代語訳
聖賢は義という一字を実に清らかに握っていて、毛ほどの利という字の混ざりもありません。大勢の人は義にかなった行いをしようとすると、すぐ利という字が来て掻き乱すのを免れません。利が得られなければ、義も成し遂げられなくなります。
解説
義に利が混じる仕組みを描きます。義を行おうとすると必ず利が入り込み、利が得られないと義まで止まる。二つが結びついているので、片方が欠ければ両方が倒れます。聖賢との違いは清らかさの度合いだけ。動機の混入が、実行そのものを左右するという構図になっています。動機の混入が、実行そのものを左右するという構図です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
義利混入動機実行清浄
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