呻吟語 / 外篇・品藻・天下第一の大勇に非ざれば能はず
沉溺了,如神附,如鬼迷,全由不得自家,不怕你明見真知。眼見得深淵陡澗,心安意肯底直前撞去,到此翻然跳出,無分毫黏帶,非天下第一大勇不能。學者須要知此。
新字:沈溺了,如神附,如鬼迷,全由不得自家,不怕你明見真知。眼見得深淵陡澗,心安意肯底直前撞去,到此翻然跳出,無分毫黏帯,非天下第一大勇不能。学者須要知此。
書き下し
沉溺すれば、神の附くが如く、鬼の迷はすが如く、全く自家に由り得ず。你が明見真知を怕れず。眼に深淵陡澗を見得るも、心安んじ意肯ひて直前に撞き去る。此に到りて翻然として跳び出で、分毫の黏帶無きは、天下第一の大勇に非ざれば能はず。學者須らく此を知るべし。
現代語訳
溺れてしまえば、神が憑いたよう、鬼に迷わされたようで、まるで自分の思い通りになりません。はっきり見え真に知っていても構いません。目には深い淵や切り立った谷が見えているのに、心は落ち着き意は納得して、まっすぐ突き進んでいきます。ここから翻って飛び出し、毛ほども粘り着かないのは、天下第一の大勇でなければできません。学ぶ者はこれを知るべきです。
解説
溺れている状態を、憑かれた状態として描きます。危険が見えていても止まれない。知識も洞察も効かないという指摘が怖いところです。そしてそこから飛び出すのを天下第一の大勇と呼びます。抜け出すことを勇気の最上位に置く構図で、意志の力の限界を認めたうえでの評価になっています。意志の力の限界を認めたうえでの、評価になっています。
この章句が説くこと
溺れる憑依脱出大勇限界
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