呻吟語 / 外篇・品藻・坐談先生は只だ好く理を說くのみ
不當事,不知自家不濟。才隨遇長,識以窮精。坐談先生只好說理耳。
新字:不当事,不知自家不済。才随遇長,識以窮精。坐談先生只好説理耳。
書き下し
事に當たらざれば、自家の濟らざるを知らず。才は遇に隨ひて長じ、識は窮を以て精なり。坐談先生は只だ好く理を說くのみ。
現代語訳
事に当たってみなければ、自分が至らないことは分かりません。才は出会いに応じて伸び、識は行き詰まることで精しくなります。座って談じる先生は、ただ理を語るのが上手なだけです。
解説
自分の至らなさが分かる場所を、事に当たることに限ります。そして伸び方が示されます。才は機会で、識は行き詰まりで。どちらも実地でしか得られません。そして座って語るだけの人を、理を語るのが上手なだけだと切り捨てます。実務の経験を、成長の唯一の道とした一段です。実務の経験を、成長の唯一の道とした一段です。
この章句が説くこと
実地才識行き詰まり坐談
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