呻吟語 / 内篇・談道・事事只だ道理上に商量す
事事只在道理上商量,便是真體認。
新字:事事只在道理上商量,便是真体認。
書き下し
事事只だ道理の上に在りて商量すれば、便ち是れ真の體認なり。
現代語訳
ひとつひとつの事を、ただ道理の上で考え合わせる。それが本当の体得です。
解説
体得というと、座って心を澄ますような特別な時間を思い浮かべがちです。呂坤はそれを退け、目の前の一件ごとを道理に照らして考えることだと言います。場所も時間も要りません。会議でも、家の用事でも、そこで道理に当ててみればそれが体得です。裏を返せば、静かな時間をどれだけ積んでも、事に当たって道理を通さなければ体得にはならない。学びと暮らしを一続きにする、この書の基本の構えがここにあります。
この章句が説くこと
体認道理日常実践思考
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