呻吟語 / 内篇・談道・才は誠より出づ
誠與才合,畢竟是兩個,原無此理。蓋才自誠出,才不出於誠算不得個才,誠了自然有才。今人不患無才,只是討一誠字不得。
新字:誠与才合,畢竟是両個,原無此理。蓋才自誠出,才不出於誠算不得個才,誠了自然有才。今人不患無才,只是討一誠字不得。
書き下し
誠と才と合すれば、畢竟是れ兩個にして、原と此の理無し。蓋し才は誠より出づ。才の誠より出でざるは才と算へ得ず。誠なれば自然に才有り。今人才無きを患へず、只だ是れ一の誠の字を討ね得ざるなり。
現代語訳
誠と才能を合わせようとするのは、それを二つの物と見ているからで、もともとそんな理屈はありません。才能は誠から出てくるものです。誠から出ていない才能は才能とは数えられません。誠であれば自然に才能はそなわります。今の人は才能が無いことを心配していますが、ただ誠の一字を見つけられずにいるのです。
解説
誠実さと能力を足し算で考えるのをやめよ、という段です。才は誠から生えてくる枝であって、別の木ではない。だから誠でない人の器用さは、そもそも才の勘定に入らないと言い切ります。最後の一行が現代にも刺さります。人は能力不足を嘆いて研修や資格に走りますが、本当に見つかっていないのは誠のほうだ、という診断です。
この章句が説くこと
誠才能根修養実力
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