呻吟語 / 外篇・品藻・欲罷まんとして能はず
學者不能徙義改過,非是不知,只是積慵久慣。自家由不得自家,便沒一些指望。若真正格致了,便由不得自家,欲罷不能矣。
新字:学者不能徙義改過,非是不知,只是積慵久慣。自家由不得自家,便没一些指望。若真正格致了,便由不得自家,欲罷不能矣。
書き下し
學者の義に徙り過ちを改むる能はざるは、是れ知らざるに非ず、只だ是れ積慵久慣なればなり。自家自家を由り得ざれば、便ち一些の指望沒し。若し真正に格致し了はらば、便ち自家を由り得ず、欲罷まんとして能はざらん。
現代語訳
学ぶ者が義に移り過ちを改められないのは、知らないからではなく、ただ長年の怠けと慣れのためです。自分で自分をどうにもできなければ、少しの望みもありません。もし本当に格物致知を成し遂げたなら、やはり自分でどうにもできなくなり、やめようとしてもやめられなくなります。
解説
改められない理由を、無知ではなく怠けと慣れに置きます。そして面白いのが後半で、本当に分かった場合も自分でどうにもできなくなると言う。ただし向きが逆で、やめようとしてもやめられない。同じ制御不能でも、怠けから来るか理解から来るかで正反対になるという構図です。同じ制御不能でも、向きが正反対になるという構図です。
この章句が説くこと
改過怠惰慣れ制御不能格致
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