呻吟語 / 内篇・問學・學を好むを貴び、尤も學を知るを貴ぶ
留心於浩瀚博雜之書,役志於靡麗刻削之辭,耽心於鑿真亂俗之技,爭勝於煩勞苛瑣之儀,可哀矣!而醉夢者又貿貿昏昏,若癡若病,華衣甘食而一無所用心,不尤可哀哉?是故學者貴好學,尤貴知學。
新字:留心於浩瀚博雑之書,役志於靡麗刻削之辞,耽心於鑿真乱俗之技,争勝於煩労苛瑣之儀,可哀矣!而酔夢者又貿貿昏昏,若痴若病,華衣甘食而一無所用心,不尤可哀哉?是故学者貴好学,尤貴知学。
書き下し
浩瀚博雜の書に心を留め、靡麗刻削の辭に志を役し、鑿真亂俗の技に心を耽り、煩勞苛瑣の儀に勝を爭ふは、哀しむ可し。而るに醉夢する者は又た貿貿昏昏として、癡なるが若く病めるが若く、華衣甘食して一も心を用ふる所無し。尤も哀しむ可からずや。是の故に學者は學を好むを貴び、尤も學を知るを貴ぶ。
現代語訳
広く雑多なだけの書に心を留め、飾り立てて削り込んだ言葉に志を費やし、真を穿ち俗を乱す技に心を奪われ、煩わしく細かすぎる作法で勝ちを争うのは、悲しむべきことです。一方で酔って夢を見ている者は、ぼんやりと暗く、愚かなようにも病んでいるようにも見え、華やかな衣を着てうまい物を食べながら、何一つ心を用いません。こちらのほうがいっそう悲しむべきではないでしょうか。だから学ぶ者は学を好むことを貴び、それ以上に何を学ぶかを知ることを貴びます。
解説
学び方の失敗を四つ挙げ、その後にもっと悪い例を置きます。間違った方向に学ぶ者と、何も学ばない者。後者のほうが悲しいと言いつつ、結論は好むだけでなく知ることを貴ぶとされます。好学と知学を分けたのが要点で、熱心さだけでは方向を誤るということです。前に出てきた読書の配分の議論とつながります。熱心さだけでは方向を誤る、という戒めになっています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
好学知学方向無為選別
関連する章句
-
論語・先進篇季康子問う、「弟子孰か学を好むと為す。」孔子対えて曰く、「顔回なる者有り、学を好めり。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。」
-
『近思録』巻2 為学聖人の道は、耳に入り、心に存す。之を蘊めて徳行と為し、之を行ひて事業と為す。彼の文辞を以てするのみなる者は陋なり。或るひと問ふ、聖人の門、其の徒三千、独り顔子を称して学を好むと為す。夫れ詩書六芸、三千子習ひて通ぜざるに非ざるなり、然らば則ち顔子の独り好む所の者は、何の学ぞや。伊川先生曰く、学びて以て聖人の道に至るなり。聖人は学びて至るべきか。曰く、然り。学の道は如何。曰く、天地精を儲へ、五行の秀を得る者を人と為す。其の本や真にして静、其の未だ発せざるや五性具はる、曰く仁義礼智信。形既に生ずれば、外物其の形に触れて其の中を動かす。其の中動きて七情出づ、曰く喜怒哀楽愛悪欲。情既に熾んにして益々蕩けば、其の性鑿(うが)たる。是の故に覚る者は其の情を約して、中に合はしむ。其の心を正しくし、其の性を養ふ。愚なる者は則ち之を制することを知らず、其の情を縦にして邪僻に至り、其の性を梏して之を亡ぼす。然れども学の道は、必ず先づ諸を心に明らかにし、養ふ所を知る。然る後に力行して以て至らんことを求む。所謂「明らかなるよりして誠なり」なり。之を誠にするの道は、道を信ずること篤きに在り。道を信ずること篤ければ則ち之を行ふこと果なり、之を行ふこと果なれば則ち之を守ること固し。仁義忠信、心を離れず。「造次にも必ず是に於てし、顛沛にも必ず是に於てす」。出処語黙も必ず是に於てす。久しくして失はざれば、則ち之に居ること安し。動容周旋礼に中りて、邪僻の心自りて生ずる無し。故に顔子の事とする所は、則ち曰く、「礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言ふこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ」と。仲尼之を称して、則ち曰く、「一善を得れば則ち拳拳服膺して之を失はず」と。又曰く、「怒りを遷さず、過ちを弐たびせず」と。「不善有れば未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復た行はず」なり。此れ其の之を好むこと篤く、学ぶの道なり。然れども聖人は則ち「思はずして得、勉めずして中る」。
-
『童子問』卷下問ふ、天下の善、如何なるをか最と為す、と。曰く、好学を最と為す。穎敏之に次ぎ、材幹又之に次ぐ。蓋し好学の益は、深くして測るべからず、高くして及ぶべからず。天下の材幹穎敏を極むと雖も、皆及ばざる所なり。故に好学は天下に優れり。孔門の諸子、聡明は顔子に若くは莫し。然れども夫子其の聡明を称せずして、特に其の好学を称す。中庸に曰く、舜は問ふことを好みて、好んで邇言を察す、と。孟子舜を称して曰く、耕稼陶漁より以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し、と。又曰く、一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決するが若く、沛然として之を能く禦ぐ莫きなり、と。子思・孟子皆其の聖を称せずして、一は問ふを好むを称し、一は人に取るに非ざる者無きを称す。好学の天下に優れるを見るべし。人皆聡明の貴ぶべきを知りて、好学の功、聡明に倍すること実に万万なるを知らざるなり。聡明の人に如かざるを患へんよりは、自ら其の好学の志を篤くするに如かざるなり。
-
孔子家語・哀公問政公曰わく、「子の言美なり、至れり。寡人実に固にして、以て之れを成すに足らざるなり。」孔子曰わく、「学を好むは智に近く、力めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し。斯の三つの者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち能く天下国家を成す者なり。」
-
論語・公冶長篇子貢問いて曰く、「孔文子、何を以て之を文と謂うや。」子曰く、「敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以て之を文と謂うなり。」
-
『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段他人の善事を身にうつし、人の悪事を見ては、我にもこの悪事あらんかと恐れ、己を顧み仁義の志し有りて止まざるを、聖人の学問と云ふ。子曰く、顔回といふ者有り、学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かずと。顔回の心は、鏡の物を照らすが如し。右の怒りを左に遷さず、前に過つことを、後に復せずと。是の如く心に得て身に行ふを、徳に至ると云ふ。故に文学に長じたる子夏子游を、好学とはの玉はず。詩書六芸七十子、習ひて通ぜざるに非ず。通ずれども文学は用なり、徳とはいはず。汝の云へる学者は、年久しく文字を数へても、書の心を得ざるゆへに、不孝にして世の交りあしく、不義の類多し。然れども文字さへ読めば徳ありと思ひて、世間に取り違ふる所なり。誤るべからず。