呻吟語 / 外篇・品藻・有心有我の故なり
無心者公,無我者明。當局之君子不如旁觀之眾人者,有心有我之故也。
新字:無心者公,無我者明。当局之君子不如旁観之眾人者,有心有我之故也。
書き下し
無心なる者は公、無我なる者は明なり。當局の君子の旁觀の眾人に如かざるは、有心有我の故なり。
現代語訳
心を持たない者は公けであり、我を持たない者は明らかです。当事者である君子が、傍観している普通の人に及ばないのは、心があり我があるからです。
解説
公平さと明察を、心と我の不在に結びつけます。そして有名な現象を説明します。当事者の君子より、傍観者の凡人のほうがよく見える。理由は能力ではなく、心と我があるかどうかです。前に出てきた、是非の外に身を置いてから断ぜよという段と同じ構図が、傍観者の側から述べられています。当事者の君子より、傍観者の凡人のほうがよく見えるのです。
この章句が説くこと
無心無我当事者傍観公明
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