呻吟語 / 外篇・聖賢・吾が心の天故の如し
日之於萬形也,鑒之於萬象也,風之於萬籟也,尺度權衡之於輕重長短也,聖人之於萬事萬物也,因其本然付以自然,分毫我無所與焉。然後感者常平,應者常逸,喜亦天,怒亦天,而吾心之天如故也。萬感劻勷,眾動轇轕,而吾心之天如故也。
新字:日之於万形也,鑒之於万象也,風之於万籟也,尺度権衡之於軽重長短也,聖人之於万事万物也,因其本然付以自然,分毫我無所与焉。然後感者常平,応者常逸,喜亦天,怒亦天,而吾心之天如故也。万感劻勷,眾動轇轕,而吾心之天如故也。
書き下し
日の萬形に於ける、鑒の萬象に於ける、風の萬籟に於ける、尺度權衡の輕重長短に於ける、聖人の萬事萬物に於けるは、其の本然に因りて自然を以て付し、分毫も我與る所無し。然る後に感ずる者は常に平らかに、應ずる者は常に逸なり。喜も亦た天、怒も亦た天にして、吾が心の天故の如し。萬感劻勷し、眾動轇轕するも、吾が心の天故の如し。
現代語訳
日が万の形に、鏡が万の象に、風が万の音に、物差しと秤が軽重長短に対するように、聖人が万事万物に対するのは、そのもの本来のあり方に因って自然に任せ、毛ほども自分が関わりません。そうして初めて、触れるものは常に平らかで、応じるものは常にゆったりします。喜ぶのも天、怒るのも天であって、自分の心の天は元のままです。万の感が押し寄せ、多くの動きが絡み合っても、自分の心の天は元のままです。
解説
四つの比喩で、自分を差し挟まない応じ方を示します。日、鏡、風、物差し。どれも対象の側が形を決めます。そして喜怒さえ天のものとされ、心の天は元のままだと繰り返されます。感情が動いても本体が動かないという構図で、前の段の定静安慮の議論と同じ到達点が描かれています。感情が動いても、本体が動かないという構図です。
この章句が説くこと
無我鏡応じる天不動
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