呻吟語 / 内篇・存心・這の念頭は天地萬物の為か、我が為か
舉世都是我心,去了這我心,便是四通八達,六合內無一些界限。要去我心,須要時時省察:這念頭是為天地萬物?是為我?
新字:舉世都是我心,去了這我心,便是四通八達,六合内無一些界限。要去我心,須要時時省察:這念頭是為天地万物?是為我?
書き下し
舉世都て是れ我が心なり。這の我が心を去り了らば、便ち是れ四通八達、六合の内に一些の界限無し。我が心を去らんと要せば、須らく時時に省察すべし。這の念頭は是れ天地萬物の為か、是れ我が為か。
現代語訳
世の中はすべて自分の心です。この自分だけの心を取り去れば、四方八方に通じて、天地のあいだに少しの境目もなくなります。自分だけの心を取り去ろうとするなら、常に省みて調べるべきです。この思いは天地万物のためか、自分のためか、と。
解説
我という心を取り去れば境目が消える、と言われます。そして具体的な方法が一つだけ渡されます。思いが起こるたびに、これは天地万物のためか自分のためかと問え、と。抽象的な無我の話で終わらせず、その場で使える二択に落としているのが実用的です。答えを出すことより、問い続けることが省察だとされている点も要です。
この章句が説くこと
我心境目省察二択動機
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