呻吟語 / 内篇・談道・見る所無き者のみ昏からず
萬物皆能昏人,是人皆有所昏。有所不見,為不見者所昏;有所見,為見者所昏。惟一無所見者不昏,不昏然後見天下。
新字:万物皆能昏人,是人皆有所昏。有所不見,為不見者所昏;有所見,為見者所昏。惟一無所見者不昏,不昏然後見天下。
書き下し
萬物皆な能く人を昏くす。是れ人皆な昏くする所有り。見ざる所有れば、見ざる者の昏くする所と為る。見る所有れば、見る者の昏くする所と為る。惟だ一に見る所無き者のみ昏からず。昏からずして然る後に天下を見る。
現代語訳
あらゆる物が人の目を曇らせます。ですから人はみな、何かに曇らされています。見えていない部分があれば、その見えないものに曇らされます。見えている部分があれば、その見えるものに曇らされます。ただ一つも見る所を持たない者だけが曇りません。曇らなくなって初めて、天下が見えるのです。
解説
知らないことが目を曇らせるのは分かりますが、知っていることも目を曇らせるという後半が鋭い指摘です。見えたものが基準になり、そこに当てはまらないものが見えなくなる。経験が長い人ほど陥る罠です。だから特定の見る所を持たないことが条件になる。専門を持つことの代償を、静かに突いた一段だと言えます。見えるものを増やすだけでは、曇りは晴れないのです。
この章句が説くこと
視野曇り先入観経験無私
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