呻吟語 / 外篇・品藻・無識の士に三恥有り
無識之士有三恥:恥貧,恥賤,恥老。或曰:「君子獨無恥與?」曰:「有恥。親在而貧恥,用賢之世而賤恥,年老而德業無聞恥。」
新字:無識之士有三恥:恥貧,恥賤,恥老。或曰:「君子独無恥与?」曰:「有恥。親在而貧恥,用賢之世而賤恥,年老而徳業無聞恥。」
書き下し
無識の士に三恥有り。貧を恥ぢ、賤を恥ぢ、老を恥づ。或るひと曰く、「君子は獨り恥無きか」と。曰く、「恥有り。親在りて貧しきを恥ぢ、賢を用ふるの世に賤しきを恥ぢ、年老いて德業聞こゆる無きを恥づ」と。
現代語訳
見識の無い士には三つの恥があります。貧しいこと、身分が低いこと、老いることです。ある人が問いました。君子には恥が無いのですか。答えて言う。恥はあります。親が生きているのに貧しいことを恥じ、賢者が用いられる世で身分が低いことを恥じ、年老いて徳も業も聞こえないことを恥じます。
解説
同じ三つの状態を、恥じる理由で分けます。見識の無い者は貧賤老そのものを恥じ、君子は条件付きで恥じる。親が生きている、賢者が用いられる世である、年老いた。どれも状態に理由が加わっています。恥の対象ではなく、恥じ方の違いで人が分かれるという構図が鮮やかな一段です。恥の対象ではなく、恥じ方の違いで人が分かれる構図です。
この章句が説くこと
恥貧賤老条件見識
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