呻吟語 / 外篇・品藻・朋友は君臣の上に加ふるを得ず
問:「嚴子陵何如?」曰:「富貴利達之世不可無此種高人,但朋友不得加於君臣之上。五臣與舜同僚友,今日比肩,明日北面而臣之,何害其為聖人?若有用世之才,抱憂世之志,朋時之所講求,正欲大行,竟施以康,天下孰君孰臣,正不必爾。
新字:問:「厳子陵何如?」曰:「富貴利達之世不可無此種高人,但朋友不得加於君臣之上。五臣与舜同僚友,今日比肩,明日北面而臣之,何害其為聖人?若有用世之才,抱憂世之志,朋時之所講求,正欲大行,竟施以康,天下孰君孰臣,正不必爾。
書き下し
問ふ、「嚴子陵は何如」と。曰く、「富貴利達の世に此の種の高人無かる可からず。但だ朋友は君臣の上に加ふるを得ず。五臣は舜と僚友を同じくす。今日肩を比べ、明日北面して之に臣たるも、何ぞ其の聖人爲るを害せん。若し用世の才有り、憂世の志を抱き、時に講求する所は、正に大いに行はんと欲す。竟に施して以て康んずれば、天下孰れか君孰れか臣ぞ。正に必ずしも爾らざるなり」と。
現代語訳
問う。厳子陵はどうですか。答えて言う。富貴と栄達の世には、こういう高潔な人がいなくてはなりません。ただし友としての関係を、君臣の上に置くことはできません。舜の五人の臣は舜と同僚の友でした。今日は肩を並べ、明日は北を向いて臣下となっても、それが聖人であることを妨げるでしょうか。もし世に用いられる才があり世を憂える志を抱き、日ごろ論じ求めていることを大いに行いたいと願っているなら、施して安んじられれば、天下の誰が君で誰が臣かなど、必ずしも問題になりません。
解説
光武帝の旧友でありながら仕えなかった厳子陵を、二面から評します。まず高潔な人は必要だと認め、次に友の関係を君臣の上に置いてはならないと釘を刺します。舜の臣たちは友から臣になっても聖人だった、と。志があるなら肩書きにこだわるなという主張で、次の段でさらに厳しく批評されます。志があるなら肩書きにこだわるな、という主張です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
厳子陵友臣肩書き志批評
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