呻吟語 / 内篇・存心・淨く漢唐より下の心腸を洗ふ
求道學真傳,且高閣百氏諸儒,先看孔孟以前胸次;問治平要旨,只遠宗三皇五帝,淨洗漢唐而下心腸。
新字:求道学真伝,且高閣百氏諸儒,先看孔孟以前胸次;問治平要旨,只遠宗三皇五帝,浄洗漢唐而下心腸。
書き下し
道學の真傳を求めんとせば、且く百氏諸儒を高閣し、先づ孔孟以前の胸次を看よ。治平の要旨を問はんとせば、只だ遠く三皇五帝を宗とし、淨く漢唐より下の心腸を洗へ。
現代語訳
道学の真の伝えを求めようとするなら、しばらく諸家の儒者を棚に上げて、まず孔子や孟子より前の胸の内を見なさい。治め平らげる要点を問おうとするなら、ただ遠く三皇五帝を宗として、漢や唐より後の心根をきれいに洗い流しなさい。
解説
学ぶ順序が二つ示されます。どちらも、近い時代の注釈や議論をいったん棚に上げて、遠い源へ戻れという指示です。孔孟の解釈書ではなく孔孟より前の胸の内を見よ、というのが大胆で、注釈の積み重なりが源を覆っているという認識があります。漢唐以後の心根を洗い流せ、という言い方も強く、学問の垢を落とす作業として語られています。
この章句が説くこと
源流注釈孔孟以前三皇五帝洗心
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