呻吟語 / 外篇・聖賢・聖人は人に示すに難法を以てせず
聖人不示人以難法,其所行者,天下萬世之可能者也;其所言者,天下萬世之可知者也。非聖人貶以徇人也,聖人雖欲行其所不能,言其所不知,而不可得也。道本如是,其易知易從也。
新字:聖人不示人以難法,其所行者,天下万世之可能者也;其所言者,天下万世之可知者也。非聖人貶以徇人也,聖人雖欲行其所不能,言其所不知,而不可得也。道本如是,其易知易従也。
書き下し
聖人は人に示すに難法を以てせず。其の行ふ所は、天下萬世の能くす可き者なり。其の言ふ所は、天下萬世の知る可き者なり。聖人の貶して以て人に徇ふに非ざるなり。聖人其の能はざる所を行ひ、其の知らざる所を言はんと欲すと雖も、得可からざるなり。道は本と是の如く、其れ知り易く從ひ易きなり。
現代語訳
聖人は人に難しいやり方を示しません。その行いは天下万世の人にできることであり、その言葉は天下万世の人に分かることです。聖人が水準を下げて人に合わせているのではありません。聖人が自分にできないことを行い、知らないことを語ろうとしても、そうはいきません。道はもともとこのように、知りやすく従いやすいものなのです。
解説
聖人の教えが易しい理由を二段で説明します。まず、水準を下げているのではない。次に、そもそも自分にできないことは行えず知らないことは語れないからだ、と。つまり易しいのは道そのものが易しいからです。前に出てきた、聖人の道は平らで広いという段と同じ主張が、理由づきで示された一段になっています。易しいのは、道そのものが易しいからだという理由づけです。
この章句が説くこと
易簡教え水準道平明
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