呻吟語 / 外篇・聖賢・聖は私無しと云ふに如かず
周子謂:「聖可學乎?曰無欲。」愚謂聖人不能無欲,七情中合下有欲。孔子曰己欲立欲達。孟子有云:「廣土眾民,君子欲之。」天欲不可無,人欲不可有。天欲,公也;人欲,私也。周子云「聖無欲」,愚云:「不如聖無私。」此二字者,三氏之所以異也。
新字:周子謂:「聖可学乎?曰無欲。」愚謂聖人不能無欲,七情中合下有欲。孔子曰己欲立欲達。孟子有云:「広土眾民,君子欲之。」天欲不可無,人欲不可有。天欲,公也;人欲,私也。周子云「聖無欲」,愚云:「不如聖無私。」此二字者,三氏之所以異也。
書き下し
周子謂ふ、「聖は學ぶ可きか。曰く欲無し」と。愚謂へらく聖人は欲無き能はず、七情の中に合下欲有り。孔子曰く己立たんと欲し達せんと欲すと。孟子に云ふ有り、「廣土眾民は、君子之を欲す」と。天欲は無かる可からず、人欲は有る可からず。天欲は、公なり。人欲は、私なり。周子云ふ「聖は欲無し」と。愚云ふ、「聖は私無しと云ふに如かず」と。此の二字は、三氏の異なる所以なり。
現代語訳
周敦頤は、聖人は学べるか、答えて欲が無いことだ、と言いました。私が思うに、聖人が欲を持たないことはありません。七情の中にもともと欲があります。孔子は自分が立ちたい達したいと言いました。孟子には、広い土地と多くの民は君子も欲するとあります。天の欲は無くてはならず、人の欲はあってはなりません。天の欲は公であり、人の欲は私です。周敦頤は聖は欲が無いと言いましたが、私は、聖は私が無いと言うほうがよいと思います。この二字が、三つの教えの分かれ目です。
解説
周敦頤の無欲説に、一字の修正を提案します。無欲ではなく無私だ、と。理由は明快で、孔子も孟子も欲を語っているからです。そして欲を天と人に分け、公か私かで区別します。欲を消すか、向きを変えるか。この違いが儒仏道の分かれ目だとされ、一字の置き換えで立場が定まる一段になっています。一字の置き換えで、立場が定まる一段になっています。
この章句が説くこと
無欲無私周敦頤公私修正
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