呻吟語 / 外篇・聖賢・天地純粹の氣索然として一空す
亙古五帝三王不散之精英,鑄成一個孔子,餘者猶成顏、曾以下諸賢至思、孟,而天地純粹之氣索然一空矣。春秋戰國君臣之不肖也宜哉!後乎此者無聖人出焉。靳孔、孟諸賢之精英,而未盡泄與!
新字:亙古五帝三王不散之精英,鋳成一個孔子,余者猶成顏、曽以下諸賢至思、孟,而天地純粋之気索然一空矣。春秋戦国君臣之不肖也宜哉!後乎此者無聖人出焉。靳孔、孟諸賢之精英,而未尽泄与!
書き下し
亙古の五帝三王の散ぜざる精英、鑄成して一個の孔子と為る。餘る者は猶ほ顏・曾以下の諸賢より思・孟に至るを成す。而して天地純粹の氣は索然として一空す。春秋戰國の君臣の不肖なるや宜なるかな。此より後なる者は聖人の出づる無し。孔・孟諸賢の精英を靳しみて、未だ盡くは泄れざるか。
現代語訳
古来の五帝三王の散らなかった精髄が、鋳固まって一人の孔子となりました。余った分が顔回や曾子以下の賢人から子思や孟子までを成しました。そして天地の純粋な気は、すっかり尽きて空になりました。春秋戦国の君臣が不肖であったのも当然です。これより後には聖人が出ていません。孔孟や賢人たちの精髄を惜しんで、まだすべては漏れ出ていないのでしょうか。
解説
聖人の出現を、天地の精髄の配分として説明します。孔子に集まり、余りが賢人たちになり、それで空になった。だから後の時代に聖人が出ないというのです。壮大な仮説ですが、最後に問いが残されます。まだ漏れ出ていないだけかもしれない、と。断定せずに可能性を残す結びになっています。断定せずに可能性を残す、結びになっています。
この章句が説くこと
精髄配分聖人絶後可能性
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