論語 / 衛霊公篇
子曰:「有教無類。」
書き下し
子曰く、教え有りて類無し。
現代語訳
先生がおっしゃった。「教育に区別はない。」
解説
四字だけの宣言である。身分、出自、貧富、地域。どんな区別も、教育の対象からは除外されない。当時としては革命的な主張だった。実際、孔子の門下には貴族の子弟から貧しい者、素行の悪かった者まで含まれていた。仲弓のように出自の低い弟子を認め、互郷の少年にも会った。言葉だけでなく、実行が伴っている。この宣言の含意は、教育の効果に対する信頼でもある。区別しないということは、誰でも変わりうると信じているということだ。ある種の人間は教えても無駄だ、という前提があれば、対象は絞られる。孔子はその前提を置かなかった。組織の育成方針にも同じ問いがある。誰に投資するかを選別するのは合理的だが、選別の前提には、選ばれなかった人は変わらないという判断が隠れている。
この章句が説くこと
有教無類平等教育前提可能性
関連する章句
-
孫子・形篇故に戦いを善くする者は、不可勝を為すこと能うも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。
-
孟子・滕文公章句上滕の文公、世子為りしとき、將に楚に之かんとし、宋に過ぎりて孟子を見る。孟子、性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。世子、楚自り反りて、復た孟子を見る。孟子曰く、「世子は吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ。成ᓟ(ケン)、齊の景公に謂いて曰く、『彼も丈夫なり。我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや。』顏淵曰く、『舜何人ぞや。予何人ぞや。為す有る者亦た是の若し。』公明儀曰く、『文王は我が師なり。周公豈に我を欺むかんや。』今、滕、長をࡼち短を補わば、將に五十里ならんとす。猶ほ以て善國と為す可し。書に曰く、『若し藥瞑眩(メン・ゲン)せずんば、厥の疾瘳(いえる)えず。』」
-
論語・子罕篇子曰く、後生畏る可し。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。
-
『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
-
『修証義』第二章 懺悔滅罪其大旨は、願くは我れ設ひ過去の悪業多く重なりて、障道の因縁ありとも。仏道に因りて得道せりし諸仏諸祖、我を愍みて業累を解脫せしめ。学道障り無からしめ。其功徳法門普く無尽法界に充満弥綸せらん、哀みを我に分布すべし。仏祖の往昔は吾等なり。吾等が当来は仏祖ならん。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・眾人自ら聖人に異なる聖人と眾人と一般なり。只だ是れ眾人の道理を盡くし得るのみ。其の同じからざる者は、乃ち眾人自ら聖人に異なるなり。