呻吟語 / 外篇・聖賢・吾嘗て之を人天と謂ふ
參贊化育底聖人,雖在人類中,其實是個活天,吾嘗謂之人天。
新字:参賛化育底聖人,雖在人類中,其実是個活天,吾嘗謂之人天。
書き下し
化育に參贊する底の聖人は、人類の中に在りと雖も、其の實は是れ個の活天なり。吾嘗て之を人天と謂ふ。
現代語訳
天地の化育を助ける聖人は、人の類の中にいるとはいえ、その実は生きた天です。私はかつてこれを人の天と呼びました。
解説
聖人を、人の姿をした天と呼びます。生きた天という言い方が印象的で、天地の化育を助けるという中庸の言葉を、そのまま人格に当てはめています。前に出てきた、私たちはまるごと一つの天だという段と合わせると、誰もが持つ可能性の極まった姿として読めることになります。誰もが持つ可能性の、極まった姿として読めます。
この章句が説くこと
聖人人天化育参賛可能性
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