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呻吟語 / 外篇・聖賢・人を以て禱るは斷斷乎として無し

湯禱桑林以身為犧,此史氏之妄也。按湯世十八年旱,至二十三年禱桑林責六事,於是早七年矣,天乃雨。夫農事冬旱不禁三月,夏旱不禁十日,使湯持七年而後禱,則民已無孑遺矣,何以為聖人?即湯以身禱而天不雨,將自殺,與是絕民也,將不自殺,與是要天也,湯有一身能供幾禱?天雖享祭,寧欲食湯哉?是七年之間,歲歲有早,未必不禱,歲歲禱雨,未必不應,六事自責,史醫特紀其一時然耳。以人禱,斷斷乎其無也。

新字:湯禱桑林以身為犠,此史氏之妄也。按湯世十八年旱,至二十三年禱桑林責六事,於是早七年矣,天乃雨。夫農事冬旱不禁三月,夏旱不禁十日,使湯持七年而後禱,則民已無孑遺矣,何以為聖人?即湯以身禱而天不雨,将自殺,与是絶民也,将不自殺,与是要天也,湯有一身能供幾禱?天雖享祭,寧欲食湯哉?是七年之間,歳歳有早,未必不禱,歳歳禱雨,未必不応,六事自責,史医特紀其一時然耳。以人禱,断断乎其無也。

書き下し

湯の桑林に禱りて身を以て犧と為すは、此れ史氏の妄なり。湯の世を按ずるに十八年旱し、二十三年に至りて桑林に禱りて六事を責む。是に於て早すること七年なり。天乃ち雨ふる。夫れ農事は冬旱三月を禁へず、夏旱十日を禁へず。湯をして七年を持して而る後に禱らしめば、則ち民已に孑遺無からん。何を以て聖人と為さん。是れ七年の間、歲歲に旱有らば、未だ必ずしも禱らずんばあらず。歲歲に雨を禱らば、未だ必ずしも應ぜずんばあらず。六事の自責は、史醫特だ其の一時を紀すのみ。人を以て禱るは、斷斷乎として其れ無きなり。

現代語訳

湯王が桑林で祈り自分を犠牲としたという話は、史家の作り話です。湯の治世を調べると十八年に日照りがあり、二十三年に桑林で祈って六つの事を自ら責めました。そこまでで七年の日照りです。それで天が雨を降らせました。しかし農事は冬の日照りなら三月、夏の日照りなら十日も耐えられません。湯が七年待ってから祈ったなら、民はもう一人も残っていないでしょう。それでどうして聖人と言えるでしょうか。この七年のあいだ、毎年日照りがあれば必ず祈ったはずで、毎年祈れば必ず応えがあったはずです。六事の自責は、史家がその一時だけを記したものです。人身を犠牲にして祈ったなど、断じてありません。

解説

有名な湯王の雨乞いの話を、年数の計算から疑います。七年待ってから祈ったなら民は全滅しているはずで、それでは聖人ではない。農事が耐えられる日数まで持ち出して論証します。伝説を、数字の検算で崩す手つきが鮮やかで、前に出てきた堯の二女の話と同じ懐疑の姿勢です。伝説を、数字の検算で崩す手つきが鮮やかです。堯の二女の話と同じ、懐疑の姿勢が貫かれています。

この章句が説くこと

疑史湯王検算伝説懐疑

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