呂氏春秋 / 順民②
昔者湯克夏而正天下,天大旱,五年不收,湯乃以身禱於桑林,曰:“余一人有罪,無及萬夫。萬夫有罪,在余一人。無以一人之不敏,使上帝鬼神傷民之命。”於是翦其髮,櫪其手,以身為犧牲,用祈福於上帝,民乃甚說,雨乃大至。則湯達乎鬼神之化,人事之傳也。
新字:昔者湯克夏而正天下,天大旱,五年不収,湯乃以身禱於桑林,曰:“余一人有罪,無及万夫。万夫有罪,在余一人。無以一人之不敏,使上帝鬼神傷民之命。”於是翦其髪,櫪其手,以身為犠牲,用祈福於上帝,民乃甚説,雨乃大至。則湯達乎鬼神之化,人事之伝也。
書き下し
昔者、湯、夏に克ちて天下を正す。天大いに旱し、五年收まらず。湯乃ち身を以て桑林に禱る。曰く、「余一人に罪有り。萬夫に及ぼす無かれ。萬夫に罪有れば、余一人に在り。一人の不敏を以て、上帝鬼神をして民の命を傷つけしむること無かれ。」是に於て其の髪を翦り、其の手を櫪し、身を以て犧牲と為し、用て福を上帝に祈る。民乃ち甚だ說び、雨乃ち大いに至る。則ち湯は鬼神の化、人事の傳に達するなり。
現代語訳
昔、殷の湯王が夏を滅ぼして天下を正した。天は大いに旱魃となり、五年間収穫がなかった。そこで湯王は自ら桑林で雨乞いの祈りを捧げ、こう言った。「私一人に罪があるのだ。万民に及ぼさないでほしい。万民に罪があるとすれば、その責めは私一人にある。私一人の不徳のために、上帝や鬼神が民の命を損なうことのないように」と。そこで自らの髪を切り、その手を締め、我が身を犠牲として、上帝に幸いを祈った。すると民は大いに喜び、雨がついに大いに降った。これは湯王が鬼神の働きと人事の相通じる道理に通じていたからである。
解説
殷の湯王が自らを犠牲に捧げて雨乞いをした故事で、指導者の自己犠牲が民心を動かすことを示します。要点は、災害の責めをすべて自分一人に引き受け、身を犠牲にして祈った湯王の姿が、民を感動させ天をも動かしたという点です。背景として、古代では君主は天と民をつなぐ存在であり、天災は君主の徳の欠如の表れとされました。湯王が罪を一身に負う態度は、責任を民に転嫁しない理想の君主像を表します。現代でも、リーダーが失敗の責任を部下に押しつけず自ら負う姿勢は、信頼と結束を生む要点として通じます。
この章句が説くこと
湯王桑林雨乞い自己犠牲鬼神責任
関連する章句
-
貞観政要・務農貞観二年、京師旱にして、蝗虫大いに起こる。太宗、苑に入りて禾を視る。蝗虫を見て、数枚を掇(と)りて咒(の)りて曰く、「人は穀を以て命と為す。而るに汝之を食らう。是れ百姓に害あり。百姓に過ち有らば、予一人に在り。爾(なんじ)其れ霊有らば、但だ当に我が心を蝕むべし。百姓を害する無かれ」と。将に之を吞まんとす。左右遽かに諫めて曰く、「恐らくは疾を成さん。不可なり」と。太宗曰く、「冀(こいねが)う所は災を朕が躬に移すことなり。何の疾をか避けんや」と。遂に之を吞む。是より蝗は復た災を為さず。
-
説苑・復恩呉起魏の将と為り、中山を攻む、軍人に疽を病む者有り、呉子自ら其の膿を吮ふ、其の母之を泣く、旁人曰く、「将軍而の子に於て是くの如し、尚ほ何為れぞ泣くや」と。対へて曰く、「呉子此の子の父の創を吮ひて之を注水の戦に殺せり、戦ひて踵を旋らさずして死せり、今又之を吮ふ、安んぞ是の子の何くにか戦ひて死せんかを知らんや、是を以て之を哭するなり」と。
-
説苑・君道邾の文公繹に徙らんことを卜す。史曰く、「民に利あるも君に利あらず」と。君曰く、「苟くも民に利あらば、寡人の利なり。天烝民を生じて之に君を樹つるは、以て之を利するなり。民既に利あらば、孤必ず与らん」と。侍者曰く、「命長かるべきなり、君胡ぞ為さざる」と。君曰く、「命は民を牧するに在り、死の短長は時なり。民苟くも利あらば、吉孰か大ならん」と。遂に繹に徙る。
-
説苑・立節晋の驪姫太子申生を献公に譖す。献公将に之を殺さんとす。公子重耳申生に謂いて曰わく、「此を為す者は子の罪に非ざるなり、子胡ぞ辞を進めざる、之を辞せば必ず罪を免れん」と。申生曰わく、「不可なり。我之を辞せば、驪姫必ず罪有らん。吾が君老いたり、驪姫微くんば寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、如何ぞ吾が君をして恨みを以て終わらしめんや」と。重耳曰わく、「辞せずんば則ち速やかに去るに若かず」と。申生曰わく、「不可なり。去りて此を免るるは、是れ吾が君を悪しむなり。夫れ父の過を彰らかにして美を諸侯に取るは、孰か肯えて之を納れんや。入りては宗に困しみ、出でては逃に困しむ、是れ吾が悪を重ぬるなり。吾之を聞く、忠は君を暴かず、智は悪を重ねず、勇は死を逃れずと。是くの如き者は、吾身を以て之に当たらん」と。遂に剣に伏して死す。君子之を聞きて曰わく、「天命なるかな世子」と。詩に曰わく、「萋として斐たり、是の貝錦を成す。彼の人を譖る者、亦已に太甚し」と。
-
説苑・復恩北郭騒踵いで晏子に見えて曰く、「窃かに先生の義を悦び、願はくは母を養ふ所以を乞はん」と。晏子人をして倉粟府金を分ちて之を遺らしむ、金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑はれ、出奔す、北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を悦びて嘗て母を養ふ所以を乞ひし者なり。吾之を聞く、其の親を養ふ者は、身其の難に更る、と。今晏子疑はる、吾将に身を以て之を白さんとす」と。遂に公庭に造りて復する者を求めて曰く、「晏子は天下の賢者なり、今斉国を去らば、斉国必ず侵されん、方に必ず国の侵さるるを見んとせば、若かず先に死して頸を絶ちて以て晏子を白すに」と。逡巡して退き、因りて自殺するなり。公之を聞きて大いに駭き、馳に乗じて自ら晏子を追ひ、之に国郊に及び、請ひて之を反す、晏子已むを得ずして之に反る、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰不肖にして、罪過固に其の所なり、而れども士身を以て之を明らかにす、哀しいかな」と。
-
説苑・君道楚の昭王の時、雲有りて飛鳥の如く、日を夾みて三日飛ぶ。昭王之を患いて、人をして駅に乗じて東し、諸を太史州黎に問わしむ。州黎曰く、「将に王身に虐せんとす、令尹司馬を以て之に説かば則ち可なり」と。令尹司馬之を聞き、宿斎沐浴し、将に自ら身を以て之に禱らんとす。王曰く、「止めよ、楚国の不穀有るは、身の匈脅有るに由るなり。其れ令尹司馬有るは、身の股肱有るに由るなり。匈脅疾有れば、之を股肱に転ず、庸ぞ是の人を去るを為さん」と。