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荀子 / 大略篇

湯旱而禱曰:「政不節與?使民疾與?何以不雨至斯極也!宮室榮與?婦謁盛與?何以不雨至斯之極也!苞苴行與?讒夫興與?何以不雨至斯極也!」

新字:湯旱而禱曰:「政不節与?使民疾与?何以不雨至斯極也!宮室栄与?婦謁盛与?何以不雨至斯之極也!苞苴行与?讒夫興与?何以不雨至斯極也!」

書き下し

湯(とう)、旱(ひでり)して禱(いの)りて曰く、「政(まつりごと)節ならざるか。民を使ふこと疾(はげ)しきか。何を以て雨ふらざること斯(こ)の極みに至れるや。宮室(きゅうしつ)栄(さか)んなるか。婦謁(ふえつ)盛んなるか。何を以て雨ふらざること斯の極みに至れるや。苞苴(ほうしょ)行はるるか。讒夫(ざんぷ)興(おこ)るか。何を以て雨ふらざること斯の極みに至れるや」と。

現代語訳

殷の湯王は、日照りに際して天に祈って言った。「政治に節度が欠けているのか。民を使うのに無理をさせているのか。どうして雨の降らないことが、これほどの極みに至ったのか。宮殿を華美にしすぎたのか。女性の口ききがはびこっているのか。どうして雨の降らないことが、これほどの極みに至ったのか。賄賂が行われているのか。人を陥れる者がのさばっているのか。どうして雨の降らないことが、これほどの極みに至ったのか」。

解説

日照りに苦しむなか、湯王が天に向かって祈る場面です。ところがその祈りの中身は、天への嘆願ではなく、自らの政治への問いかけばかりです。政治に節度はあるか、民を酷使していないか、宮殿を飾りすぎていないか、身内の口ききを許していないか、賄賂は横行していないか、讒言する者を野放しにしていないか。六つの問いを畳みかけるように自分に向けています。荀子は本来、天のはたらきと人の政治を切り離して考える人ですから、天罰を恐れよという話ではありません。危機に直面したとき、まず自分の側を項目立てて点検する。その姿勢そのものを、王の姿として示しているのです。売上が落ちた、事故が続いた、そんなとき外の環境を責める前に、自分の運営を六つ数え上げられるか。祈りを自己点検の形に変えた一段です。

この一句を、あなたの毎日に。

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