呻吟語 / 外篇・聖賢・只だ一個の從の字を降伏す
孔子七十而後從心,六十九歲未敢從也。眾人一生只是從心,從心安得好?聖學戰戰兢兢,只是降伏一個從字,不曰戒慎恐懼,則日憂勤惕勵,防其從也。豈無樂的,樂也只是樂天。眾人之樂則異是矣。任意若不離道,聖賢性不與人殊,何苦若此?
新字:孔子七十而後従心,六十九歳未敢従也。眾人一生只是従心,従心安得好?聖学戦戦兢兢,只是降伏一個従字,不曰戒慎恐懼,則日憂勤惕勵,防其従也。豈無楽的,楽也只是楽天。眾人之楽則異是矣。任意若不離道,聖賢性不与人殊,何苦若此?
書き下し
孔子は七十にして後心に從ふ。六十九歲は未だ敢へて從はざるなり。眾人の一生は只だ是れ心に從ふ。心に從ひて安くんぞ好きを得ん。聖學は戰戰兢兢として、只だ是れ一個の從の字を降伏す。戒慎恐懼と曰はざれば、則ち憂勤惕勵と曰ふ。其の從ふを防ぐなり。豈に樂しむ的無からんや。樂しむも也た只だ是れ天を樂しむのみ。眾人の樂しみは則ち是に異なり。
現代語訳
孔子は七十になって初めて心のままに従いました。六十九歳まではまだ従おうとしませんでした。大勢の人は一生ずっと心のままに従っています。心のままに従って、どうして善くなれるでしょうか。聖人の学はびくびくと恐れ慎み、ただ従うという一字を打ち負かします。戒め慎み恐れ憚ると言わなければ、憂え勤め恐れ励むと言います。従うのを防ぐためです。楽しみが無いわけではありません。しかしその楽しみも天を楽しむだけです。大勢の人の楽しみはこれとは違います。
解説
孔子の従心所欲を、七十まで一度も使わなかった技として読みます。大勢の人は一生それをやっている、と。同じ振る舞いが、六十九年の抑制を経たかどうかで正反対になります。そして聖学とは従うという一字を打ち負かすことだとされます。楽しみを説く流派への批判とも重なる一段です。楽しみを説く流派への批判とも、重なる一段です。
この章句が説くこと
従心抑制七十戒慎楽
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