呻吟語 / 外篇・聖賢・心は知覺の為に苦しまず
曰:「富貴、貧賤、壽夭、寵辱,聖人末嘗不落花飛絮之耳。雖有知覺,心不為知覺苦。」
新字:曰:「富貴、貧賤、寿夭、寵辱,聖人末嘗不落花飛絮之耳。雖有知覚,心不為知覚苦。」
書き下し
曰く、「富貴・貧賤・壽夭・寵辱は、聖人未だ嘗て落花飛絮にせずんばあらざるのみ。知覺有りと雖も、心は知覺の為に苦しまず」と。
現代語訳
答えて言う。富貴も貧賤も長命も短命も寵愛も辱めも、聖人はみな散る花や飛ぶ綿毛のように扱っています。知覚はあっても、心が知覚のために苦しむことはありません。
解説
前の段の問いに答えます。知覚を捨てるのではなく、持ったまま苦しまない。富貴も貧賤も落花や飛ぶ綿毛のように扱うという言い方が鮮やかです。無知覚に戻るのではなく、知覚を持ったまま揺れない。仏道の委ねと儒の構えを、ここで分けた形になっています。無知覚に戻るのではなく、持ったまま揺れないのです。仏道の委ねと儒の構えが、ここで分かれます。
この章句が説くこと
知覚無苦落花富貴区別
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