呻吟語 / 外篇・聖賢・可知は不可知の祖
聖而不可知之之謂神。不可知,可知之祖也。無不可知做可知不出,無可知則不可知何所附屬?
新字:聖而不可知之之謂神。不可知,可知之祖也。無不可知做可知不出,無可知則不可知何所附属?
書き下し
聖にして知る可からざる、之を神と謂ふ。知る可からざるは、知る可きの祖なり。知る可からざる無ければ知る可きを做し出だせず、知る可き無ければ則ち知る可からざるは何の附屬する所ぞ。
現代語訳
聖であってなお知り尽くせないものを神と言います。知り尽くせないものは、知り得るものの祖です。知り尽くせないものが無ければ知り得るものは作り出せず、知り得るものが無ければ、知り尽くせないものは何に付き従うのでしょうか。
解説
孟子の、聖にして知り尽くせないものを神と呼ぶという言葉を受けます。そして二つの関係を示します。知り尽くせないものが祖であり、知り得るものがその現れ。しかしどちらが欠けても成り立ちません。神秘を根に置きながら、現れる側も必要だとする双方向の構図になっています。神秘を根に置きながら、現れる側も必要だとしています。
この章句が説くこと
神不可知可知根相互
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