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茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・傑作はわれわれによって存する

この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。真の芸術は伯牙であり、われわれは竜門の琴である。美の霊手に触れる時、わが心琴の神秘の弦は目ざめ、われわれはこれに呼応して振動し、肉をおどらせ血をわかす。心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬が、栄えばえと現われて来る。わが心は画家の絵の具を塗る画布である。その色素はわれわれの感情である。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影である。われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。

書き下し

この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。傑作というものは、われわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。真の芸術は伯牙であり、われわれは竜門の琴である。美の霊手に触れる時、わが心琴の神秘の弦は目ざめ、われわれはこれに呼応して振動し、肉をおどらせ血をわかす。心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬が、栄えばえと現われて来る。わが心は画家の絵の具を塗る画布である。その色素はわれわれの感情である。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影である。われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。

現代語訳

この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明しています。傑作とは、私たちの心の琴に奏でられる一種の交響楽です。真の芸術は伯牙であり、私たちは竜門の琴です。美の霊妙な手に触れるとき、心の琴の神秘の弦は目覚め、私たちはこれに呼応して震え、肉を躍らせ血を沸かせます。心は心と語ります。言葉のないものに耳を傾け、見えないものを凝視します。名匠は私たちの知らない調べを呼び起こします。長く忘れていた記憶がすべて新しい意味を持って帰ってきます。恐れに抑えられていた希望や、認める勇気のなかった憧れが、晴れ晴れと現れてきます。私の心は画家が絵の具を塗る画布です。その色素は私たちの感情です。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影です。私たちが傑作によって存在するように、傑作は私たちによって存在します。

解説

物語が鑑賞論に翻訳されます。役割が入れ替わっているのが肝心で、芸術が伯牙、私たちが琴です。つまり弾かれる側に回る。名作が私たちの中の忘れていた記憶や、認める勇気のなかった憧れを鳴らす。そして最後の一行で相互依存が言い切られます。傑作は私たちによって存在する。見る人がいなければ作品は鳴らない。鑑賞が受け身ではなく共同作業だという、この章の中心命題です。

この章句が説くこと

鑑賞共鳴相互記憶傑作

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