茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・傑作はわれわれによって存する
この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。真の芸術は伯牙であり、われわれは竜門の琴である。美の霊手に触れる時、わが心琴の神秘の弦は目ざめ、われわれはこれに呼応して振動し、肉をおどらせ血をわかす。心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬が、栄えばえと現われて来る。わが心は画家の絵の具を塗る画布である。その色素はわれわれの感情である。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影である。われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。
書き下し
この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。傑作というものは、われわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。真の芸術は伯牙であり、われわれは竜門の琴である。美の霊手に触れる時、わが心琴の神秘の弦は目ざめ、われわれはこれに呼応して振動し、肉をおどらせ血をわかす。心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬が、栄えばえと現われて来る。わが心は画家の絵の具を塗る画布である。その色素はわれわれの感情である。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影である。われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。
現代語訳
この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明しています。傑作とは、私たちの心の琴に奏でられる一種の交響楽です。真の芸術は伯牙であり、私たちは竜門の琴です。美の霊妙な手に触れるとき、心の琴の神秘の弦は目覚め、私たちはこれに呼応して震え、肉を躍らせ血を沸かせます。心は心と語ります。言葉のないものに耳を傾け、見えないものを凝視します。名匠は私たちの知らない調べを呼び起こします。長く忘れていた記憶がすべて新しい意味を持って帰ってきます。恐れに抑えられていた希望や、認める勇気のなかった憧れが、晴れ晴れと現れてきます。私の心は画家が絵の具を塗る画布です。その色素は私たちの感情です。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影です。私たちが傑作によって存在するように、傑作は私たちによって存在します。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』兼愛下且つ鄉に吾が本と言えらく、仁人の事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むと。今、吾れ兼の天下の大利を生ずる所を本原し、吾れ别の天下の大害を生ずる所を本原せり。是の故に子墨子曰く、别は非にして兼は是なる者は、若の方より出づるなり。今、吾れ將に正しく天下の利を興すを求めて之を取らんとし、兼を以て正と為す。是を以て聰き耳、明るき目、相い為に視聴せんか。是を以て股肱の勇强、相い為に動宰せんか。而して道有れば肆に相い教誨せん。是を以て老いて妻子無き者は、侍養して以て其の夀を終うる所有り、幼弱孤童の父母無き者は、放依して以て其の身を長ずる所有り。今、唯だ兼を以て正と為す毋くんば、即ち其の利の若きなり。識らず、天下の士の皆な兼を聞きて非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
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『茶の本』第一章 人情の碗・アジアは返礼いたします西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。まだまだおもしろい種になることはいくらでもあろう、もしわれわれ、諸君についてこれまで想像したり書いたりしたことが、すっかりおわかりになれば。すべて遠きものをば美しと見、不思議に対して知らず知らず感服し、新しい不分明なものに対しては、口には出さねど憤るということが、そこに含まれている。諸君はこれまで、うらやましく思うこともできないほど立派な徳を負わされて、あまり美しくて、とがめることのできないような罪をきせられている。わが国の昔の文人は――その当時の物知りであった――まあこんなことを言っている。諸君には着物のどこか見えないところに毛深いしっぽがあり、そしてしばしば赤ん坊の細切り料理を食べていると。否、われわれは諸君に対してもっと悪いことを考えていた。すなわち諸君は、地球上で最も実行不可能な人種と思っていた。というわけは、諸君は決して実行しないことを口では説いているといわれていたから。
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『墨子』雜守凡そ煙・衝・雲梯・臨を待つの法は、必ず城を廣くして以て之を禦ぐ。曰く、足らずんば、則ち木を以て之を椁す。左百步、右百步、䌓く矢石・沙炭を下して以て之に雨ふらし、薪火・水湯を以て之を濟う。鋭卒を選び厲まし、慎んで顧みしむる無かれ。賞を審らかにし罰を行い、静を以て故と為し、之に從うに急を以てし、主をして慮らしむる無かれ。恚み髙く憤れば、民心、百倍す。多く執りて數しば賞すれば、卒、乃ち怠らず。衝・臨・梯は、皆な衝を以て之を衝つ。渠の長さ丈五尺、理を具うる者三尺、矢の長さ丈二尺。渠の廣さ丈六尺、其の弟丈二尺、渠の垂るる者四尺、渠を樹つるに傳葉五寸無し。梯渠は十丈に一つ。梯渠・答の大數は、里ごとに二百五十八渠、答百二十九。諸そ外道の要塞して以て寇を難む可き者、其の甚だ害ある者は三亭を築くを為し、亭は三隅、之を織女し、能く相い救わしむ。諸そ詎阜・山林・溝瀆・丘陵・阡陌・郭門若しくは閻術の要塞す可き、及び幑幟を為して以て往來する者の少多及び伏し蔵るる所の處を迹知す可し。
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『茶の本』第五章 芸術鑑賞・琴が伯牙か伯牙が琴か次に伯牙は調べを変えて恋を歌った。森は深く思案にくれている熱烈な恋人のようにゆらいだ。空にはつんとした乙女のような冴えた美しい雲が飛んだ。しかし失望のような黒い長い影を地上にひいて過ぎて行った。さらに調べを変えて戦いを歌い、剣戟の響きや駒の蹄の音を歌った。すると、琴中に竜門の暴風雨起こり、竜は電光に乗じ、轟々たる雪崩は山々に鳴り渡った。帝王は狂喜して、伯牙に彼の成功の秘訣の存するところを尋ねた。彼は答えて言った、「陛下、他の人々は自己の事ばかり歌ったから失敗したのであります。私は琴にその楽想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か伯牙が琴か、ほんとうに自分にもわかりませんでした」と。
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