茶の本 / 第一章 人情の碗・アジアは返礼いたします
西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。まだまだおもしろい種になることはいくらでもあろう、もしわれわれ諸君についてこれまで、想像したり書いたりしたことがすっかりおわかりになれば。すべて遠きものをば美しと見、不思議に対して知らず知らず感服し、新しい不分明なものに対しては、口には出さねど憤るということがそこに含まれている。諸君はこれまで、うらやましく思うこともできないほど立派な徳を負わされて、あまり美しくて、とがめることのできないような罪をきせられている。わが国の昔の文人は――その当時の物知りであった――まあこんなことを言っている。諸君には着物のどこか見えないところに、毛深いしっぽがあり、そしてしばしば赤ん坊の細切り料理を食べていると! 否、われわれは諸君に対してもっと悪いことを考えていた。すなわち諸君は、地球上で最も実行不可能な人種と思っていた。というわけは、諸君は決して実行しないことを口では説いているといわれていたから。
書き下し
西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。まだまだおもしろい種になることはいくらでもあろう、もしわれわれ、諸君についてこれまで想像したり書いたりしたことが、すっかりおわかりになれば。すべて遠きものをば美しと見、不思議に対して知らず知らず感服し、新しい不分明なものに対しては、口には出さねど憤るということが、そこに含まれている。諸君はこれまで、うらやましく思うこともできないほど立派な徳を負わされて、あまり美しくて、とがめることのできないような罪をきせられている。わが国の昔の文人は――その当時の物知りであった――まあこんなことを言っている。諸君には着物のどこか見えないところに毛深いしっぽがあり、そしてしばしば赤ん坊の細切り料理を食べていると。否、われわれは諸君に対してもっと悪いことを考えていた。すなわち諸君は、地球上で最も実行不可能な人種と思っていた。というわけは、諸君は決して実行しないことを口では説いているといわれていたから。
現代語訳
西洋の皆さん、私たちを種にどんなことでも言ってお楽しみください。アジアは返礼します。もし私たちが皆さんについてこれまで想像し書いてきたことをすっかりご存じになれば、まだまだ面白い種はいくらでもあるでしょう。遠いものを美しいと見、不思議なものに知らず知らず感服し、新しくて分からないものには口に出さずに憤る。そういうことがそこには含まれています。皆さんはこれまで、羨ましく思うこともできないほど立派な徳を負わされ、あまりに美しくて咎めようのない罪を着せられてきました。わが国の昔の文人、当時の物知りですが、こんなことを言っています。皆さんには着物のどこか見えないところに毛深い尻尾があり、しばしば赤ん坊の細切り料理を食べている、と。いや、私たちは皆さんについてもっと悪いことを考えていました。皆さんは地球上でもっとも実行不可能な人種だと思っていた。なぜなら、決して実行しないことを口では説いていると言われていたから。
解説

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『墨子』兼愛下且つ鄉に吾が本と言えらく、仁人の事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むと。今、吾れ兼の天下の大利を生ずる所を本原し、吾れ别の天下の大害を生ずる所を本原せり。是の故に子墨子曰く、别は非にして兼は是なる者は、若の方より出づるなり。今、吾れ將に正しく天下の利を興すを求めて之を取らんとし、兼を以て正と為す。是を以て聰き耳、明るき目、相い為に視聴せんか。是を以て股肱の勇强、相い為に動宰せんか。而して道有れば肆に相い教誨せん。是を以て老いて妻子無き者は、侍養して以て其の夀を終うる所有り、幼弱孤童の父母無き者は、放依して以て其の身を長ずる所有り。今、唯だ兼を以て正と為す毋くんば、即ち其の利の若きなり。識らず、天下の士の皆な兼を聞きて非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
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『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・功に食ましめて志に食ましめず言行齟齬するとは、議論に言うところと実地に行なうところと一様ならずということなり。「功に食ましめて志に食ましめず」とは、「実地の仕事次第によりてこそ物をも与うべけれ、その心になんと思うとも形もなき人の心事をば賞すべからず」との義なり。また俗間に、「某の説はともかくも、元来働きのなき人物なり」とてこれを軽蔑することあり。いずれも議論と実業と相当せざるを咎めたるものならん。
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『呻吟語』内篇・修身・何れの時か是れ足る萬般の好事說きて為すとするも、終日為さず。百種の貪心足るを要するも、何れの時か是れ足る。
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『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。
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『呻吟語』外篇・人情・其の難言の情を識る人の情は、言然りと雖も意未だ必ずしも然らざる有り、事然りと雖も意未だ必ずしも然らざる者有り。事勢に勉強するに非ずんば、則ち體面に束縛せらる。善く人を體する者は、要は其の難言の情を識りて、其れをして言と事とに苦しむ所と為らしめざるに在り。此れ聖人の人心を感ぜしめて、人樂しみて之が為に死する所以なり。
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・医師の不養生、論語読みの論語知らず畢竟この輩の学者といえども、その口に講じ、眼に見るところの事をばあえて非となすにはあらざれども、事物の是を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行なうの心とは、まったく別のものにて、この二つの心なるものあるいは並び行なわるることあり、あるいは並び行なわれざることあり。「医師の不養生」といい、「論語読みの論語知らず」という諺もこれらの謂ならん。ゆえにいわく、人の見識、品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず、また聞見を博くするのみにて、高尚なるべきにあらざるなり。