呻吟語 / 外篇・聖賢・聖人は時として夜氣ならざる無し
聖人胸中萬理渾然,寂時則如懸衡鑒,感之則若決江河,未有無故自發一善念。善念之發,胸中不純善之故也。故惟旦晝之牿食,然後有夜氣之清明。聖人無時不夜氣,是以胸中無無故自見光景。
新字:聖人胸中万理渾然,寂時則如懸衡鑒,感之則若決江河,未有無故自発一善念。善念之発,胸中不純善之故也。故惟旦昼之牿食,然後有夜気之清明。聖人無時不夜気,是以胸中無無故自見光景。
書き下し
聖人の胸中は萬理渾然たり。寂なる時は則ち衡を懸け鑒を懸くるが如く、之に感ずれば則ち江河を決するが若し。未だ故無くして自ら一善念を發する有らず。善念の發するは、胸中純善ならざるの故なり。故に惟だ旦晝の牿食して、然る後に夜氣の清明有り。聖人は時として夜氣ならざる無し。是を以て胸中に故無くして自ら見はるる光景無し。
現代語訳
聖人の胸の中では万の理が溶け合っています。静かなときは秤を掛け鏡を掛けたようであり、触れれば大河を切るようです。理由も無く善い思いが自然と起こることはありません。善い思いが起こるのは、胸の中が純粋に善でないからです。だから昼のあいだに損なわれて初めて、夜の気の澄んだ明るさがあるのです。聖人にはいつも夜の気があります。だから胸の中に理由も無く現れる光景がありません。
解説
善い思いがふと湧くことを、良い徴候ではないと言います。純粋に善であれば、わざわざ湧く必要が無いからです。孟子の夜気の説を踏まえ、昼に損なわれるからこそ夜に澄むとし、聖人は常に夜気だとします。善念の自覚を、未熟の印として読み替えた鋭い一段になっています。善念の自覚を、未熟の印として読み替えた鋭い一段です。
この章句が説くこと
善念夜気純粋自覚逆説
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