呻吟語 / 内篇・應務・眾人は辦を臨時に取る
凡人初動一念是如此,及做出來郤不是如此,事去回顧又覺不是如此,只是識見不定。聖賢才發一念,始終如一,即有思索,不過周詳此一念耳。蓋聖賢有得於豫養,故安閑;眾人取辦於臨時,故昡惑。
新字:凡人初動一念是如此,及做出来郤不是如此,事去回顧又覚不是如此,只是識見不定。聖賢才発一念,始終如一,即有思索,不過周詳此一念耳。蓋聖賢有得於予養,故安閑;眾人取辦於臨時,故昡惑。
書き下し
凡そ人の初め一念を動かすは是の如し。做し出だし來たるに及べば郤って是の如くならず。事去りて回顧すれば又た是の如くならざるを覺ゆ。只だ是れ識見定まらざるなり。聖賢は才かに一念を發すれば、始終一の如し。即ち思索有るも、此の一念を周詳するに過ぎざるのみ。蓋し聖賢は豫養に得る有り、故に安閑なり。眾人は辦を臨時に取る、故に昡惑す。
現代語訳
およそ人が初めに一つの思いを起こすときはこうです。ところがやり出してみると、そうではなくなります。事が過ぎて振り返ると、また違って感じられます。ただ見識が定まっていないだけです。聖賢は一つの思いを発すれば、初めから終わりまで一つです。思索することがあっても、その一つの思いを行き渡らせるだけです。聖賢はあらかじめ養ったものがあるので安らかで暇があります。大勢の人はその場で間に合わせるので、目がくらみます。
解説
最初の思いと、実行中と、振り返った後で三通りに感じることを、見識の不定として診断します。そして聖賢は初めから終わりまで一つだとします。違いの原因は、あらかじめ養ってあるか、その場で間に合わせるか。前に出てきた、暇な時に心を留めよという段と同じ主張が、思いの一貫性という角度から示されています。思いの一貫性という角度から、予養の効き目が示されています。
この章句が説くこと
一貫見識予養臨時動揺
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