呻吟語 / 外篇・聖賢・學者は志有るを貴ぶ
或問:「狂者動稱古人,而行不掩言,無乃行本顧言乎?孔子奚取焉?」曰:「此與行不顧言者人品懸絕。譬之於射,立拱把於百步之外,九矢參連,此養由基能事也。孱夫拙射,引弦之初,亦望拱把而從事焉,即發,不出十步之遠,中不近方丈之鵠,何害其為志士?又安知日關弓,月抽矢,白首終身,有不為由基者乎?是故學者貴有志,聖人取有志。狷者言尺行尺,見寸守寸,孔子以為次者,取其守之確,而恨其志之隘也。今人安於凡陋,惡彼激昂,一切以行不顧言沮之,又甚者,以言是行非謗之,不知聖人豈有一蹴可至之理?希聖人豈有一朝逕頓之術?只有有志而廢於半途,未有無志而能行跬步者。」或曰:「不言而躬行何如?」曰:「此上智也,中人以下須要講求博學、審問、明辯,與同志之人相砥礪奮發,皆所以講求之也,安得不言?若行不顧言,則言如此,而行如彼,口古人,而心衰世,豈得與狂者同日語哉!」
新字:或問:「狂者動称古人,而行不掩言,無乃行本顧言乎?孔子奚取焉?」曰:「此与行不顧言者人品懸絶。譬之於射,立拱把於百歩之外,九矢参連,此養由基能事也。孱夫拙射,引弦之初,亦望拱把而従事焉,即発,不出十歩之遠,中不近方丈之鵠,何害其為志士?又安知日関弓,月抽矢,白首終身,有不為由基者乎?是故学者貴有志,聖人取有志。狷者言尺行尺,見寸守寸,孔子以為次者,取其守之確,而恨其志之隘也。今人安於凡陋,悪彼激昂,一切以行不顧言沮之,又甚者,以言是行非謗之,不知聖人豈有一蹴可至之理?希聖人豈有一朝逕頓之術?只有有志而廃於半途,未有無志而能行跬歩者。」或曰:「不言而躬行何如?」曰:「此上智也,中人以下須要講求博学、審問、明弁,与同志之人相砥礪奮発,皆所以講求之也,安得不言?若行不顧言,則言如此,而行如彼,口古人,而心衰世,豈得与狂者同日語哉!」
書き下し
或るひと問ふ、「狂者は動もすれば古人を稱するも、行ひは言を掩はず。乃ち行ひは本と言を顧みざるか。孔子奚ぞ焉を取らん」と。曰く、「此れは行ひて言を顧みざる者と人品懸絕す。之を射に譬ふれば、拱把を百步の外に立て、九矢參連するは、此れ養由基の能事なり。孱夫の拙射も、弦を引くの初め、亦た拱把を望みて事に從ふ。即ち發すれば十步の遠きに出でず、中つるも方丈の鵠に近からず。何ぞ其の志士爲るを害せん。是の故に學者は志有るを貴び、聖人は志有るを取る」と。
現代語訳
ある人が問いました。狂者は何かにつけ古人を称えるのに、行いが言葉に追いついていません。それは行いが言葉を顧みないということではありませんか。孔子はどうしてそれを取ったのですか。答えて言う。それは行って言葉を顧みない者とは、人品が懸け離れています。弓にたとえれば、百歩の外に的を立てて九本の矢を続けざまに当てるのは、養由基の腕前です。ひ弱で下手な射手も、弦を引く初めには同じ的を望んで取りかかります。射れば十歩も飛ばず、当たっても大きな的の近くにも寄りません。それでも志ある士であることを損なうでしょうか。だから学ぶ者は志を貴び、聖人も志ある者を取るのです。
解説

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