呻吟語 / 外篇・聖賢・成敗を計るに暇あらず
聖人有功於天地,只是人事二字。其盡人事也,不言天命,非不知回天無力,人事當然,成敗不暇計也。
新字:聖人有功於天地,只是人事二字。其尽人事也,不言天命,非不知回天無力,人事当然,成敗不暇計也。
書き下し
聖人の天地に功有るは、只だ是れ人事の二字なり。其の人事を盡くすや、天命を言はず。回天の力無きを知らざるに非ず、人事は當然にして、成敗計るに暇あらざればなり。
現代語訳
聖人が天地に功があるのは、ただ人事という二字によります。人事を尽くすときには、天命を語りません。天を回す力が無いと知らないのではなく、人事は当然のことであり、成否を計っている暇が無いからです。
解説
人事を尽くすときに天命を語らない理由を示します。無力を知らないのではなく、当然のことをしているだけだから、成否を考える余地が無いのです。前に出てきた、当然を尽くし自然に任せるという段と同じ構図で、こちらは聖人の功業の説明として置かれています。結果を切り離す姿勢が一貫しています。結果を切り離す姿勢が、ここでも一貫しています。
この章句が説くこと
人事天命成否当然功業
関連する章句
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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