呻吟語 / 外篇・聖賢・成敗を計るに暇あらず
聖人有功於天地,只是人事二字。其盡人事也,不言天命,非不知回天無力,人事當然,成敗不暇計也。
新字:聖人有功於天地,只是人事二字。其尽人事也,不言天命,非不知回天無力,人事当然,成敗不暇計也。
書き下し
聖人の天地に功有るは、只だ是れ人事の二字なり。其の人事を盡くすや、天命を言はず。回天の力無きを知らざるに非ず、人事は當然にして、成敗計るに暇あらざればなり。
現代語訳
聖人が天地に功があるのは、ただ人事という二字によります。人事を尽くすときには、天命を語りません。天を回す力が無いと知らないのではなく、人事は当然のことであり、成否を計っている暇が無いからです。
解説
人事を尽くすときに天命を語らない理由を示します。無力を知らないのではなく、当然のことをしているだけだから、成否を考える余地が無いのです。前に出てきた、当然を尽くし自然に任せるという段と同じ構図で、こちらは聖人の功業の説明として置かれています。結果を切り離す姿勢が一貫しています。結果を切り離す姿勢が、ここでも一貫しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人事天命成否当然功業
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