呻吟語 / 外篇・聖賢・能く忘れ、能く定まり、能く化す
好問、好察時,著一我字不得,此之謂能忘。執兩端時,著一人字不得,此之謂能定。欲見之施行,略無人己之嫌,此之謂能化。
新字:好問、好察時,著一我字不得,此之謂能忘。執両端時,著一人字不得,此之謂能定。欲見之施行,略無人己之嫌,此之謂能化。
書き下し
好問・好察の時、一の我の字を著け得ず。此れを之れ能く忘ると謂ふ。兩端を執る時、一の人の字を著け得ず。此れを之れ能く定まると謂ふ。之を施行に見はさんと欲して、略ぼ人己の嫌無し。此れを之れ能く化すと謂ふ。
現代語訳
好んで問い好んで察するときには、我という字を一つも置けません。これを忘れると言います。両端を握るときには、人という字を一つも置けません。これを定まると言います。それを実行に移そうとするとき、自分と人の隔てがまるで無い。これを化すと言います。
解説
中庸に描かれた舜の姿を、三段で読み解きます。問い察するときは自分を消し、両端を量るときは人を消し、実行するときは自他の隔てが消える。消すものが場面ごとに違うのが要点です。忘、定、化という三字が段階の名として与えられ、無私の中身が具体化された一段になっています。忘、定、化という三字が、段階の名として与えられます。
この章句が説くこと
忘定化無私舜
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