呻吟語 / 外篇・聖賢・發して皆な節に中たる處
如回非助我牛刀割雞,見其喜處;由之瑟,由之使門人為臣,仍然於沮溺之對,見其怒處;喪予之慟,獲麟之泣,見其哀處;侍側言志之問,與人歌和之時,見其樂處;山梁雌雉之歎,見其愛處;斥由之佞,答子貢「君子有惡」之語,見其惡處;周公之夢,東周之想,見其欲處。便見他發而皆中節處。
新字:如回非助我牛刀割雞,見其喜処;由之瑟,由之使門人為臣,仍然於沮溺之対,見其怒処;喪予之慟,獲麟之泣,見其哀処;侍側言志之問,与人歌和之時,見其楽処;山梁雌雉之嘆,見其愛処;斥由之佞,答子貢「君子有悪」之語,見其悪処;周公之夢,東周之想,見其欲処。便見他発而皆中節処。
書き下し
回は我を助くるに非ず、牛刀もて雞を割くは、其の喜ぶ處を見る。由の瑟、由の門人をして臣と為さしむは、其の怒る處を見る。予を喪ふの慟、獲麟の泣は、其の哀しむ處を見る。侍側言志の問、人と歌ひ和するの時は、其の樂しむ處を見る。山梁雌雉の歎は、其の愛する處を見る。由の佞を斥け、子貢に君子に惡む有りと答ふるの語は、其の惡む處を見る。周公の夢、東周の想は、其の欲する處を見る。便ち他の發して皆な節に中たる處を見る。
現代語訳
顔回は私を助ける者ではないという言葉や、牛刀で鶏を割くという言葉には、孔子の喜びが見えます。子路の瑟のこと、子路が門人を臣下に仕立てたことには、怒りが見えます。顔回を失った慟哭、麒麟を得た時の涙には、哀しみが見えます。側に侍って志を問うた時、人と歌を和した時には、楽しみが見えます。山の尾根の雌雉への嘆きには、愛が見えます。子路の口達者を退け、子貢に君子にも憎むものがあると答えた言葉には、憎しみが見えます。周公を夢に見たこと、東に周を興そうと思ったことには、欲が見えます。そこに、発してみな節に当たっている様子が見えます。
解説
論語の中から、七つの情が現れた場面を一つずつ挙げます。喜怒哀楽愛悪欲。聖人が感情を持たないのではなく、持ったうえで節に当たっていることを、実例で示す構成です。感情の抑圧ではなく適切な発露が中庸だという主張が、経書の読み方として具体化された一段になっています。感情の抑圧ではなく、適切な発露が中庸だという主張です。
この章句が説くこと
七情孔子論語中節実例
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