呻吟語 / 内篇・存心・怒るも也た怒り得て禮有り
道義心胸發出來,自無暴戾氣象,怒也怒得有禮。若說聖人不怒,聖人只是六情?
新字:道義心胸発出来,自無暴戻気象,怒也怒得有礼。若説聖人不怒,聖人只是六情?
書き下し
道義の心胸より發し出で來たれば、自ら暴戾の氣象無し。怒るも也た怒り得て禮有り。若し聖人は怒らずと說かば、聖人は只だ是れ六情なるか。
現代語訳
道義の心の内から出てくるものには、自然と荒々しい気配がありません。怒るときも、礼にかなった怒り方ができます。もし聖人は怒らないのだと言うなら、聖人には情が六つしかないのでしょうか。
解説
怒りが否定されずに扱われます。道義から出た怒りには荒々しさがなく、礼にかなうのだ、と。そして最後の一句が軽妙です。聖人は怒らないと言うなら、聖人の情は七つではなく六つなのか、と。喜怒哀楽愛悪欲の七情から怒だけを抜いてしまう考え方を、数の話にして笑っています。感情を消すのではなく、出どころを正すという方針が示されます。
この章句が説くこと
怒道義礼七情出所
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