呻吟語 / 外篇・天地・中氣・純氣・雜氣・戾氣
造物之氣有十:有中氣,有純氣,有雜氣,有戾氣,有似氣,有大氣,有細氣,有間氣,有變氣,有常氣,皆不外於五行。中氣,五行均調,精粹之氣也,人鍾之而為堯、舜、禹、文、周、孔,物得之而為鱗鳳之類是也。純氣,五行各具純一之氣也,人得之而為伯夷、伊尹、柳下惠,物得之而為龍虎之類是也。雜氣,五行交亂之氣也。戾氣,五行粗惡之氣也。
新字:造物之気有十:有中気,有純気,有雑気,有戻気,有似気,有大気,有細気,有間気,有変気,有常気,皆不外於五行。中気,五行均調,精粋之気也,人鍾之而為堯、舜、禹、文、周、孔,物得之而為鱗鳳之類是也。純気,五行各具純一之気也,人得之而為伯夷、伊尹、柳下恵,物得之而為竜虎之類是也。雑気,五行交乱之気也。戻気,五行粗悪之気也。
書き下し
造物の氣に十有り。中氣有り、純氣有り、雜氣有り、戾氣有り、似氣有り、大氣有り、細氣有り、間氣有り、變氣有り、常氣有り。皆な五行に外ならず。中氣は、五行均調にして精粹の氣なり。人之を鍾めて堯・舜・禹・文・周・孔と為り、物之を得て鱗鳳の類と為る是れなり。純氣は、五行各おの純一の氣を具ふるなり。人之を得て伯夷・伊尹・柳下惠と為り、物之を得て龍虎の類と為る是れなり。雜氣は、五行交亂の氣なり。戾氣は、五行粗惡の氣なり。
現代語訳
造物の気には十あります。中の気、純の気、雑の気、ねじけた気、似た気、大きな気、細かな気、間の気、変わった気、常の気。どれも五行の外にはありません。中の気は五行が均しく調った精粋の気です。人がこれを集めれば堯舜禹文王周公孔子となり、物がこれを得れば麒麟や鳳凰の類になります。純の気は五行がそれぞれ純一の気を備えたものです。人がこれを得れば伯夷や伊尹や柳下恵となり、物がこれを得れば龍や虎の類になります。雑の気は五行が入り乱れた気です。ねじけた気は五行が粗く悪い気です。
解説
生まれつきの資質を、十種の気に分類します。まず四つが示され、中と純に聖人や賢人が割り当てられます。注目すべきは純の位置で、伯夷や伊尹といった一芸に秀でた人物がここに入り、中の聖人より下に置かれています。偏りなく調った中が最上で、純粋さは次善。分類の順位づけが明快です。偏りなく調った中が最上で、純粋さは次善という順位です。
この章句が説くこと
気質分類中気純気順位
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