呻吟語 / 外篇・聖賢・渾然は浩然の歸宿
浩然之氣孔子非無,但用的妙耳。孟子一生受用全是這兩字。我嘗云:「孟於是浩然之氣,孔於是渾然之氣。渾然是浩然的歸宿。浩然是渾然的作用。惜也!孟子未能到渾然耳。」
新字:浩然之気孔子非無,但用的妙耳。孟子一生受用全是這両字。我嘗云:「孟於是浩然之気,孔於是渾然之気。渾然是浩然的帰宿。浩然是渾然的作用。惜也!孟子未能到渾然耳。」
書き下し
浩然の氣は孔子も無きに非ず。但だ用ふるの妙のみ。孟子一生の受用は全て是れ這の兩字なり。我嘗て云ふ、「孟子は是れ浩然の氣、孔子は是れ渾然の氣なり。渾然は是れ浩然の歸宿、浩然は是れ渾然の作用なり。惜しいかな、孟子未だ渾然に到る能はざるのみ」と。
現代語訳
浩然の気は孔子にも無かったわけではありません。ただ用い方が巧みだっただけです。孟子が生涯使ったのは、まったくこの二字でした。私はかつて言いました。孟子は浩然の気であり、孔子は渾然の気である。渾然は浩然の行き着く先であり、浩然は渾然の働きである。惜しいことに、孟子は渾然には至れなかった、と。
解説
孟子と孔子を、浩然と渾然という二字で対比します。そして両者の関係を示します。渾然は浩然の行き着く先で、浩然は渾然の働き。つまり同じものの段階違いです。そのうえで孟子は行き着かなかったと惜しむ。孟子を高く評価しながら、上に一段を置く。この書の孟子観がよく出た一段です。孟子を高く評価しながら、上に一段を置く見方です。

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浩然渾然孟子孔子段階
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