呻吟語 / 外篇・聖賢・六合の正氣獨り孟子の身に鍾まる
戰國是個慘酷的氣運,巧偽的世道,君非富強之術不講,臣非功利之策不行,六合正氣獨鍾在孟子身上。故在當時疾世太嚴,憂民甚切。
新字:戦国是個惨酷的気運,巧偽的世道,君非富強之術不講,臣非功利之策不行,六合正気独鍾在孟子身上。故在当時疾世太厳,憂民甚切。
書き下し
戰國は是れ個の慘酷の氣運、巧偽の世道なり。君は富強の術に非ざれば講ぜず、臣は功利の策に非ざれば行はず。六合の正氣獨り孟子の身に鍾まる。故に當時に在りて世を疾むこと太だ嚴に、民を憂ふること甚だ切なり。
現代語訳
戦国は惨く酷い気運であり、巧みな偽りの世の道でした。君は富国強兵の術でなければ論じず、臣は功利の策でなければ行いませんでした。天地の正しい気が、ただ孟子一人の身に集まりました。だから当時にあって世を憎むことがきわめて厳しく、民を憂えることがきわめて切実でした。
解説
孟子の激しさを、時代の状況から説明します。世じゅうが富強と功利しか語らない中で、正しい気が一人に集まった。だから憎しみも憂いも極端になったというのです。人物の性格を、その人の資質ではなく置かれた立場から読む見方で、孟子の厳しさに対する弁護にもなっている一段です。孟子の厳しさに対する、弁護にもなっている一段です。
この章句が説くこと
孟子戦国功利正気弁護
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