呻吟語 / 外篇・聖賢・才かに足れりと覺ゆれば便ち堯舜ならず
在堯、舜心上有多少缺然不滿足處!道原體不盡,心原趁不滿,勢分不可強,力量不可勉,聖人怎放得下?是以聖人身囿於勢分,力量之中,心長於勢分、力量之外,才覺足了,便不是堯、舜。
新字:在堯、舜心上有多少欠然不満足処!道原体不尽,心原趁不満,勢分不可強,力量不可勉,聖人怎放得下?是以聖人身囿於勢分,力量之中,心長於勢分、力量之外,才覚足了,便不是堯、舜。
書き下し
堯・舜の心上に多少の缺然として滿足せざる處有らんや。道は原と體し盡くさず、心は原と趁ひ滿たず。勢分は強ふ可からず、力量は勉む可からず。聖人怎ぞ放ち得下さん。是を以て聖人は身は勢分・力量の中に囿はれ、心は勢分・力量の外に長ず。才かに足れりと覺ゆれば、便ち堯・舜ならず。
現代語訳
堯や舜の心には、どれほど欠けて満ち足りないところがあったことでしょうか。道はもともと体し尽くせず、心はもともと追いつきません。立場も力量も無理押しできません。聖人がどうして放り出せるでしょうか。だから聖人は、身は立場と力量の中に囲われ、心はその外へ伸びています。少しでも足りたと感じれば、それはもう堯舜ではありません。
解説
前の段で最大級に称えた堯舜の内側を見せます。心には欠けが満ちていた、と。理由は道が尽きないからで、能力の問題ではありません。そして身と心の位置がずれていると描かれます。身は制約の中、心はその外。最後の一句が鋭く、足りたと感じた瞬間に聖人でなくなるとされます。足りたと感じた瞬間に、聖人でなくなるということです。
この章句が説くこと
不足堯舜道身心満足
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