呻吟語 / 外篇・聖賢・聖賢は計らざるなり
聖賢養得天所賦之理完,仙家養得天所賦之氣完。然出陽脫殼,仙家未嘗不死,特留得此氣常存。性盡道全,聖賢未嘗不死,只是為此理常存。若修短存亡,則又繫乎氣質之厚薄,聖賢不計也。
新字:聖賢養得天所賦之理完,仙家養得天所賦之気完。然出陽脫殼,仙家未嘗不死,特留得此気常存。性尽道全,聖賢未嘗不死,只是為此理常存。若修短存亡,則又繋乎気質之厚薄,聖賢不計也。
書き下し
聖賢は天の賦する所の理を養ひ得て完し。仙家は天の賦する所の氣を養ひ得て完し。然れども陽を出だし殼を脫するも、仙家も未だ嘗て死せずんばあらず。特だ此の氣を留め得て常に存するのみ。性を盡くし道を全うするも、聖賢も未だ嘗て死せずんばあらず。只だ是れ此の理の為に常に存するのみ。修短存亡の若きは、則ち又た氣質の厚薄に繫かる。聖賢は計らざるなり。
現代語訳
聖賢は天から授かった理を養い尽くします。仙家は天から授かった気を養い尽くします。しかし陽を出し殻を脱しても、仙家もやはり死にます。ただこの気を留めて常に存させているだけです。性を尽くし道を全うしても、聖賢もやはり死にます。ただこの理のために常に存しているだけです。寿命の長短や存亡は、また気質の厚薄によります。聖賢はそれを勘定に入れません。
解説
聖賢と仙家を、養う対象で分けます。理を養うか、気を養うか。しかしどちらも死ぬという点では同じです。残るのは気か理かの違いだけ。そして寿命の長短は気質次第で、聖賢はそれを勘定に入れないと結びます。不老不死を求める発想を退けつつ、残るものの中身だけを問う一段になっています。不老不死を退けつつ、残るものの中身だけを問う一段です。
この章句が説くこと
聖賢仙家理気死残るもの
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